起業してもしなくてもいいけど、そういう世界の認知度が上がるのは良いと思ってる派

反応したら負けだとはわかっているものの、つい疲れからか…。
 
 
 
「起業」であったり「スタートアップ」であったり「ベンチャー」であったり、そういう世界、そういう手段があるというのを一般に認知してもらうことにはそれなりに大きな意義があるんじゃないかと思っています。
 
僕が大学を辞め、突然社会に放り出された時、「起業」という選択肢も無かったわけではなかった。
 
当時「起業」という単語よりも「独立」という言葉の方が認知が高く、その結果、起業家を表す「アントレプレナー」から名前を取ったと思われる起業雑誌の内容は「フランチャイズで独立起業」というものであった。一応当時読んでみたが「違うな」と感じた。「起業しろ」の世界があの当時存在し、知っていたら、もう少し僕の人生は変わったかもしれない。
 
とは言え、知ったからと言って一歩を踏み出したかどうかはわからない。
 
「起業しろ!」と言われて本当に起業する人は少ない。言い続けたとしてもそんなに増えるものでもないと思ってる。ただ自ら起業しなかったとしても「そういう世界」の存在を知る事は大きいし、その結果「そういう世界」で働くことを選択する人が増えればOKだと思う。
 
「起業しろ!」反対おじさんの言い分としては、
 
・起業というのは手段である
・安易に起業する人が増えてしまう
・規模感の小さな会社が増える
・詐欺のような事象も出てくるかもしれない
 
ざっと見る限りこんなとこだろうか。まぁそれも分かる部分もある。正論な部分もある。ただこのあたりの懸念って、世の中に広く「起業」であったり「スタートアップ」であったりが正しく認知されていないから起きてしまうと思っているので、とにかくそういう世界をプロパガンダする特攻部隊がいて、広く認知を広げてくれた方が逆に良いんじゃないかと思ってる。
 
まだまだこの世界の認知度は低いし、筋の悪い場所にいる「起業志望」の人も多い。筋の悪い場所にいる起業志望の人はリサーチ力が無さ過ぎるのでそもそも起業家としても筋が悪いかもしれないが、そういう人を救うことにも結果的になるんじゃないかとも思う。
 
「起業しろ!」でそういう世界を知って、リサーチし、考え、自分の意思で一歩を踏み出して欲しいものです。それが起業じゃなくてもいいと思いますし、スタートアップ、ベンチャーじゃなくてもいいと思います。僕は商社に興味あります。
 
 

2018/06/08 

起業してもしなくてもいいけど、そういう世界の認知度が上がるのは良いと思ってる派

「ズボラ旅」ならばズボラな僕でも簡単に旅をすることができる

ズボラ旅」と聞いて何を想像するだろうか?
 
事前の計画もせず、移動手段の予約もせず、ホテルの選別も予約も当然しない。そんな「ズボラ」な状況で旅に出る。そんな無謀な旅もたまには良いだろう。さすがにそこまでズボラではないが、僕がたまに行く一人旅もかなりズボラなものだ。ズボラ旅だ。去年行った湘南旅行は、金曜日の夜に翌日のホテルの予約をした。用意なんて何もしていない。切符も買っていない。近場ならばそれでも何とかなるものだ。
 
そもそも旅行というのはやることが多すぎる。「そういう計画をたてたり、用意をしたりするのが楽しいんだよ」と言う人もいるだろう。旅行好きの方々はきっと多くが「そういうのも込みで旅行なんだよ」と言うはずだ。でも中にはそうじゃない人もいる。全てを決めてもらいたい。そういう人もいるはずだ。
 
そんなズボラな旅好きに最適なサービスがリリースされた。それが「ズボラ旅 by こころから」である。
 

 
各メディアでも数多くこのリリースを取り上げていた。
ペロリ創業メンバー有川氏が次に手がけるのは、チャット型の旅行代理店(TechCrunch)
元ペロリの有川氏率いるHotspringがチャットの旅行相談窓口「ズボラ旅 by こころから」をローンチ、行き先が必須でない旅行プラン提供(THE BRIDGE)
 
Twitterの「話題のワード」にも出現するほどのバズりぶりで、あまりのアクセスにTHE BRIDGEのサーバーをダウンさせ、さらにはサービス問合せが殺到してさばききれなくなったHotspring社が「パンクのお知らせ」を出すなど、熱狂と混乱に包まれたネット界隈であった。
 
とにかく、友人でもあり、たまに一緒に旅行にも行く仲であるアリコー氏の願ってやまない。「ズボラ旅」に関しては、この狂乱が落ち着いたあとに一度利用してみたいと思っている。
 
がんばれHotspring、がんばれ「ズボラ旅 by こころから
 
 
 
 
と、言うわけで、ズボラ旅の紹介をしてきましたが、「ズボラ旅」というネーミングが良いですよね。キャッチー。コピーライティング力ってみんなが思ってるよりも重要だと思うんですよね。最近ではSkyland Venturesの「フライングで投資」ってのが良いなと思ってます。そういえばSkylandはズボラ旅がバズった日の夜に「ズボラ起業」っていう便乗してましたね。その辺のフットワークの軽さもさすがです。
 
しかしながら、やはりズボラ○○というブームを巻き起こしたアリコー氏のコピーライティング能力も見逃せないですね。マルチな才能を持つアリコー氏なので、何をやっても上手くいきそうな予感するんですが、個人的に彼の能力で注目してるのは「文才」なんですよね。作家になってもそれなりの成果を出しそう。作家よりも詩人の方が向いてるかもしれませんが。
 
 

2018/05/22 

「ズボラ旅」ならばズボラな僕でも簡単に旅をすることができる

パシさんと北原さんの記事を書いた件(もう一ヶ月前の話だけど)

高崎
 
先日、パシさん(@pacificus)と北原さん(@kitahara64)の記事を公開しました。先日と言ってももう一ヶ月くらい経つのですけどね…。
 
 
Dears 北原孝彦 × アフィリエイター”パシ” インタビュー【UPSTORY】
【前編】元アフィリエイターが全国展開を目指す?異色の美容室経営者 北原孝彦の挑戦
【中編】アフィリエイト界隈で誰もが知るパシ氏が「死のう」と思ったあの頃の話
【後編】「少しでもいいから毎日前に進むことが大事」
 
 
北原さんのお店「Dears」の前橋店を取材させてもらい、そのあと別場所でインタビューをさせてもらいました。せっかくの機会なので高崎に一泊したりしました。ビジネスホテルにたまに泊まりたくなるんですよ。
 
パシさんとは5年半前くらいに知り合い、それ以降定期的に交流させてもらっているんですが、アフィリエイトサイトの作り方やサイトの収益、トラフィックなど、わりとオープンに発信されている一方で、プライベートは謎に包まれていたりするので、その辺もお聞きしたいなと取材依頼を何度かしていたんです。
 
そんな中、パシさんより北原さんを紹介され、「北原さんの方が面白いから、こっちを取材した方がいいよ」と言われたわけです。いやいや、そんなことで逃がしませんよと二人そろっての取材にかこつけました。
 
北原さんに関しては以前からお名前程度は知っていたんですが、実際に紹介されて、少しお話を伺ったら「これはなかなか面白い人だし、実はすごい人だ!」と思ったんです。記事にも書きましたが、美容師からアフィリエイターになって、さらに美容室の経営を始めて、短期間でものすごい数の店舗を開店させてる。ちょっと聞いたことないくらいのスピードで店舗拡大してるし、洗練されたオペレーションも見事。どこまで書いていいのかなーと思いながら記事にしましたが、とりあえず凄さは伝わったんじゃないかと。
 
 
記事を書いた後にTwitterでエゴサしたんだけど、概ね好評で、みんな「めちゃ良かった」とツイートしてくれてた。あと、パシさんについては「パシさんのブログを読んでアフィリを始めた」という類のものも多くて、たくさんの人に影響を与えてる人なんだなーと思いました。周囲にも実際「パシさんきっかけでアフィリ始めた」って人がいるし、ほんとすごい。北原さんの今後の展開もすごく楽しみ。
 
 
そんなわけで、このボリュームの記事を書いていくのは結構大変なんだけど、これからもボチボチとやっていきますので、引き続き「UPSTORY」よろしくお願いします!
 
 

2018/05/11 

パシさんと北原さんの記事を書いた件(もう一ヶ月前の話だけど)

『Zipper』『CanCam』等の雑誌別発行部数の推移を調べてみた

かつて「青文字系」の雑誌を謎によく買っていた。20代の頃のことだ。
 
今思うとなぜあんなに買っていたのか。不思議に思ったりもします。『CUTiE』や『Zipper』、『PS』や『mini』。たまに『FRUiTS』も買ってみたり。別にファッションにそこまで興味は無かったので、そこに出ているモデルが好きだったんだと思う。赤文字系モデルには基本的に興味は無かった。
 
『PS』は2011年11月、『CUTiE』は2015年8月に、『FRUiTS』も2016年12月に休刊した。そして『FRUiTS』休刊から1年後の昨年12月に『Zipper』も休刊となった。付録戦略で低迷する雑誌業界に一石を投じている宝島社の『mini』はまだ生き残っているが、付録を付けるしか雑誌の生きる道は無いのか?と本屋さんで陳列されている分厚い付録付き雑誌を眺めながら複雑な気持ちになったりする。別に良いのだけど。
 
雑誌の発行部数が厳しいというのは知っていたが、それがどの程度なのかは知らなかった。一般社団法人日本雑誌協会のサイトには雑誌別の「印刷証明付き発行部数」を調べることができる。そこで、かつて見ていたいくつかの青文字系雑誌と、見てはいなかったギャル系(?)の『JELLY』や赤文字系の『CanCam』も含めて部数の推移を調べてみた。ちなみに宝島社は日本雑誌協会に入っていないのか、データは無かった。
 
雑誌別発行部数推移
 
データ最古の2008年と比べて『Zipper』や『mina』、『JELLY』などは2009〜2010年に上昇しその後落ちていっている。2005〜2006年頃に蛯原友里、押切もえ、山田優などが彩り時代を築いた『CanCam』は2008年に入って激しく部数を落としてる。ちなみに2007年4月に押切もえが、2008年末で蛯原友里、2009年頭に山田優に「卒業」している。
 
いまでも発行されている『JELLY』ですが、こんなに強かったんですね。知らなかった。『mina』もなにげに安定している。図を作りながら『Zipper』の数値がどんどん下がっていくのがハラハラした。『古着Mixガールズ』がリニューアルして創刊された『mer』はいまでも発行されているが、途中からデータが無くなっている。媒体資料(PDF)によると12万部を発行してるそうだが、さて。(『mer』創刊時の三戸なつめ、かわいい。前髪はあれくらいの長さあった方がいいな笑)
 
調べた雑誌が全て「下げトレンド」になったのは2010年頃でしょうか。やはりスマートフォンの普及が原因なのでしょうか。そしてスマートフォンもいずれは「過去のもの」になっていくわけです。
 
 

2018/03/23 

『Zipper』『CanCam』等の雑誌別発行部数の推移を調べてみた

ロクシタン、ボディショップなどの業績などのメモ


ロクシタンはわりと好きなのですが、「プロヴァンスって書いてあるからたぶんフランスの会社なんだろうな」くらいしか知識が無かったので、売上とか少しだけ調べてみた。あと同種のボディショップとLUSHもついでに。
 

ロクシタン

https://jp.loccitane.com/
沿革
– 1976年創業
– 2010年香港市場に上場→上場時時価総額 220億 億HKD(3,007億円)
– 2018年2月27日 時価総額 216.23 億HKD(2,956億円)
– 2017年3月期 売上高 13億2320万ユーロ(1,744億円) 営業利益 1億6830万ユーロ(221億円)
 
売上高/営業利益推移(億ユーロ)
– 2015年3月 11.77 1.68(1,551億円/221億円)
– 2016年3月 12.82 1.58(1,690億円/208億円)
– 2017年3月 13.23 1.68(1,744億円/221億円)
 
日本展開
– 出店 1996年
– 日本国内 ショップ数108店舗、カフェ3店舗
– 日本売上高 300億円(全世界に占める割合 18%)
– 渋谷ハチ公交差点のとこの店は売り場面積世界一
 
世界展開
– 日本以外では、アメリカ、香港での売上が多い
– ブラジル、中国、ロシアでの売上伸び率が高い
– ネット販売 190億円
 
※1香港ドル=13.67円 1ユーロ=131.81円
 

ザ・ボディショップ

http://www.the-body-shop.co.jp/shop/
沿革
– 1976年創業
– 1986年ロンドン市場に上場→時価総額 3億5,000万ポンド(522億円)
– 2006年ロレアルに売却 6億5230万ポンド(974億円)
– 2016年の店舗売上高は約15億ユーロ(約1,977億円)
– 2017年ナチュラ・コスメティコスに売却 10億ユーロ(約1,318億円)
 
ナチュラ・コスメティコス(Natura Cosméticos)
– 通称「ナチュラ」 ブラジルを代表する化粧品メーカー
– 1969年創業 2004年サンパウロ市場に上場
– ボベスパ指数構成銘柄の一つ
– 時価総額149.86億ブラジルレアル(4,971億円)
– 売上高2016年 79.12億ブラジルレアル(2,624億円)
 
1英ポンド=149.25円 1ユーロ=131.81円 1ブラジルレアル=33.17円
 

LUSH

https://jn.lush.com/
沿革
– 1976年創業 Constantine and Weir Company
– ボディショップに納品→その後ボディショップに売却
– 1988年 Cosmetics to Go創業→1994年破綻
– 1998年Lush創業 British Ensign Estatesが支援
 
業績
– 2016年度 売上高 7.23億ポンド(1,079億円) 前年比26%増
– 店舗数931(北米地域で250店舗)
– 北米売上高 4.55億ドル(487億円)
 
1ドル=106.95円 1英ポンド=149.25円
 
 
こうやってみるとロクシタンもボディショップもLUSHも全世界で1,000〜2,000億円の売上高。ロクシタンは香港市場に上場してて、国別売上高も日本や香港、中国が大きい。伸びしろとしては中国、ブラジルあたりか。そんなブラジルの化粧品メーカー「ナチュラ」傘下に現在は納まっているのがボディショップ。2006年にロレアルによって買収されたあと、去年ナチュラが10億ユーロで買収。ボディショップの理念はロレアルよりもナチュラの方が近い。そしてかつてボディショップに売却経験のあるメンバーが作ったのがLUSH。LUSHは北米地域が強く、世界売上の半分近くは北米地域。
 
ちなみに、2017年のロレアル、資生堂の業績は、
– ロレアル:売上高 260億2,370万ユーロ(約3兆4,301億円) 営業利益 46億7,630万ユーロ(6,164億円)
– 資生堂:売上高 1兆50億円 営業利益 804億円
 
 
以上、備忘録的メモでした。
 
 

2018/03/01 

ロクシタン、ボディショップなどの業績などのメモ

雪かきの話とか「スコップ」「シャベル」の違いなど


 
今朝は雪かきをしてから渋谷に向かった。東京生まれ東京育ちの僕なので、雪はやっぱりテンションが上がる数年に一回のイベントなのだ。昨晩から「明日は雪かきするんだー」と楽しみにしていた。
 
朝起きて、用意をして、外に出た。外では隣の棟のフレンドリーなお兄さんがガシガシと既に雪かきしていた。僕も管理事務所でスコップを借りて、早速雪かきを始めた。刃がプラスチック製なので、凍った雪などは破壊できないのが難点。
 
ところで「スコップ」と何の違和感も無く言ったわけだが、どうやら西日本ではこれは「シャベル」と言うらしい。僕にとって「シャベル」とは園芸で使ったり、砂場で使ったりするアレのことである。西日本では砂場で使うのは「スコップ」だそうだ。
 
話は逸れたが、お兄さんと共にガシガシと雪かきをした結果、僕らの棟の周りは他の棟に比べてかなり除雪が進んでいた。介護の送迎車が来たので動線を急いで雪かきしたりも。
 
多少の満足感を胸にしながら隣の棟のエントランスで細かい雪かきをしてたら、お婆さんが部屋から出てきた。「こんにちは」と軽く挨拶をしたら、お婆さんは「裏手の道路が雪が多い。あれじゃあコンビニに行けない。」と言った。まぁ確かに道路の方はまだ雪が残っているけど、「お疲れさまです」の一言でもあってもいいのではないかと…。少し雪のとこを行けば、除雪された道路に出られて、コンビニにも行けると思うので、なんとか頑張っていただきたいところ…。
 
とりあえず今(夜)は腰が痛いが、明日、腰が痛くなかったら道路の方も雪かきするかなぁ。
 
 
—–


 
「帰宅指示」って良し悪しだなって思う。結果論だけど、昨日の場合は19時過ぎは平常だったし、TL見てたら早期帰宅指示で16時前に退社した人なんかと帰宅時間大差なくて、帰宅指示出された人、かわいそうだなって思った。まぁとにかく皆さんお疲れ様でした。
 
 

2018/01/24 

雪かきの話とか「スコップ」「シャベル」の違いなど

17世紀半ばに作られたヨアン・ブラウの「新世界全図」が興味深かった

暇だったので図書館で本を読んでたんですが、こちらの本が面白くて、30分くらい立ち読みしちゃいました。大判の本なので筋肉痛になりました。
 

地図の世界史 大図鑑 GREAT MAPS
 
バビロニアの世界地図や明代の「鄭和航海図」、マテオ・リッチの「坤輿万国全図」、伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」など歴史上の有名な地図を紹介するマニアックな本なのですが、なかでも僕が見入ったのがヨアン・ブラウの「新世界全図」です。
 

wikipedia「初期の世界地図」より)
 
ヨアン・ブラウは1596年生まれのオランダ人の地図学者。彼の父も地図学者であり、ブラウ家はオランダで名の知られた地図学者一家でした。1648年にヴェストファーレン条約を記念して刊行されたのが「新世界全図」。ちなみにヴェストファーレン条約は神聖ローマ帝国からオランダが独立することなどが定められた条約。
 
条約の話は置いといて、ヨアン・ブラウの「新世界全図」のなにが興味をひいたかというと、
・1600年代中盤(日本だと3代将軍徳川家光時代)にこの精度
・それ以前の世界地図の定番であった未確認の空想上の大陸「メガラニカ」がない
というところ。精度の高さと「事実しか載せない」というリアリズムが個人的に刺さった。発見されたばかりのオーストラリアも判明している西部は正確な海岸線が記されてますが、まだ判明されていない東海岸は空白。
※ちなみに上に貼った「新世界全図」は1664年のもの。
 
どうやらヨアン・ブラウの「新世界全図」は東京国立博物館に所蔵されてるようなので、展示されたらぜひ見たいものです。ていうかもっと今年は博物館に行こうと思う。
 
 
帰宅してネットで改めて昔の地図を見てたんですが、本にも掲載されていたマテオ・リッチの「坤輿万国全図」はやはり面白い。
 

wikipedia「初期の世界地図」より。大きなサイズはコチラ
 
大きなサイズの「坤輿万国全図」を見ながら、そこに書かれている地名から現在の地名を連想したり、正確ではない場所を探したり、空想の島を探して、「なぜそこにその空想の島を配置したのか?」を想像するのも楽しいです。
 
 

2018/01/21 

17世紀半ばに作られたヨアン・ブラウの「新世界全図」が興味深かった

「詰んだ」と思っても足下は安定してる場合はなかなか行動しない。例えば27歳の僕とか。


 
ぺんぎんさんもけんすうさんも「一発逆転はない」と仰ってます。まぁ二人が同一人物の可能性があるのですが、僕も同じく「一発逆転はない」と思ってます。そんでけんすうさんのブログを読んで、質問者の境遇に僕も近かったので、僕のことを少し書いてみようかと思います。
 
ちなみに、けんすうさんのエントリはこちら。
あなたの人生はまだ詰んでいない可能性が高いし、一発逆転とかないですよ、、と。(けんすう)
 
 
さて、僕が27歳の時に何をしてたかというと、手取り15万円くらいでデータ入力のアルバイトをしてたんですよ。27歳で15万円ってわりとやばい気がするんです。僕も当時「やばいな、詰んだな」って思ってました。大学を辞めた後の流れをざっと書くとこんな感じ。
 
21歳:大学を辞めて、月5万円くらいバイトする
24歳:友達の紹介で月11万円くらいのバイトする
26歳:上記「月11万円」のバイトを辞め、就活するも失敗
26歳:直近のお金も無くなったので、引越し屋バイトをして当座をしのぐ
27歳:24歳の頃に一時期やっていたデータ入力のバイトに復帰。フルタイムになったので月15万円くらいに。
 
やばいじゃないですか。でもよく見てください。地味に収入は増えているんです。ちなみに実家暮らしだったため、お金はかからない(月に3万くらいは入れてましたが)。15万円もらうと生活はかなり潤うんですよ。平均よりもかなり低い水準ながら生活は安定し、何ならちょっと生活良くなってる。
 
将来を眺めると「詰んだ」って感じるんですが、見ないようにして、足下を見ると「安定」してるし、前と比べると「良い」んですね。そういう感じで時間は流れていってしまうんです。
 
何が言いたいかというと、「詰んだ」とすごく思ってたとしても、意外と足下だけ見ると詰んでなくて、将来の危機感を一瞬で忘れて、将来を変えるための「行動」をしない人が多い、ってこと。僕は完全にそれでした。
 
 
27歳も半分以上過ぎた頃、当時やっていた業務が東京オフィス管轄から大阪オフィス管轄に変わることが決まりました。東京オフィスのスタッフであった僕は人生の選択に迫られていました。東京オフィスで他の業務をやるか、それとも大阪に行くか。バイトなんで大阪異動なんてあり得ないんですけどね。
 
27歳冬、寒空の下で「これから僕はどうなるんだろう」と白い息とため息を吐いていました。この段階でも「どうなるんだろう」という他人任せなマインドってのがまたヤバいですよね…。
 
実際に何もせずに大阪のスタッフに引継ぎ業務をしてるだけの毎日だったのですが、旧知の友人から「一緒に会社をやろう」と誘われて、悩んだあげくに一緒にやることになったのがサムライファクトリーで、そこで初めて「正社員」の称号を手に入れたわけです。27歳と10ヶ月。そしてその3ヶ月後には取締役に。そんなミラクルはそうは無いと思います。本当に自分は運が良かったなと…。
 
 
奇跡ではあると思いますが、ずっとHTMLは書いてましたし、それがもとで誘われたわけなので、ギャンブル的な「一発逆転」ではないと思ってます。運が良かったとはとても思ってるけど、偶然にも僕は「手に職」を持っていたのです。

今、この瞬間からできる、なんらかの行動をしてみるといいかもしれません。「転職サイトを開く」でも「プログラミングの学習サイトを開いて会員登録してみる」とかでいいので、、

https://note.mu/kensuu/n/n1f58efb7cceb

「詰んだ」と思ってる人の多くは「行動してない」人なので、まずは一歩を踏み出してプログラミングを勉強したりするのが良いんじゃないかと思います。「手に職」つける行動を。例えばProgateとかで。
 
 
 
photo credit: maekke Light at the end of … via photopin (license)
 

2018/01/17 

「詰んだ」と思っても足下は安定してる場合はなかなか行動しない。例えば27歳の僕とか。

2017年を振り返ってみた

2017年も終わる。今年はどんな年だったのかを思い返してみると、なかなかタフな一年だったなと思う。だが、今年は一年を総括する心の余裕があるだけマシ。2015年末、2016年末は総括する心の余裕が無かった。
 

鰻と金目しゃぶ、そしてマック


お世話になっているヤナティさんの別荘に遊びに行った。いつものメンバーに加えてペンギンの方やシロクマの方も。特にペンギンの方はこれまでほとんど話したことなかったので、ゆっくり話せて良かった。金目しゃぶはめちゃくちゃ美味しかったし、鰻も美味しかった。
 
今年の前半は謎のマクドナルドブームで、毎日のようにマックを食べていた。人生でこんなにマックを食べたのは初めてである。代ゼミ時代に一時期食べてた時あるけど、それ以来だ。ちなみに「ヨヨギマック」という競走馬がいるのだが、この馬の馬主はジェイコム株で儲かった方である。夢の街でも一儲けした方だ。完全に余談。
 
そういえば、4月には地元から保土ヶ谷まで歩いたり、甲府に行ったりもしたな。めちゃ歩いた。痩せるかなって思ったけど、全然痩せなかったんだよなぁ笑。
 

4ヶ月半で体重14キロ減

GW前から「夜ご飯の糖質制限」を始めてみたのだが、どんどん痩せていき、1ヶ月で約10キロもの肉が消失した。その辺からペースを落として、2ヶ月過ぎたあたりでは12キロ減(開始時比)となった。この時点で体重は63キロとなったので、維持モードに移行することに。
 
ダイエット開始から4ヶ月が経った夏、突然お尻が痛くなった。激痛の中、病院に行くと想像通りのアレだった。アレ自体は薬で何とかなったのだが、当初はなかなかハードな痛みであった…。先生が「ついでだから大腸検査もしよう」というのでやることに。9月上旬、看護婦さんに見られながら「開発」された。そして見つかった大腸ポリープをその場で切除。結果的にこの「検査」は「手術」となった。
 
検査前の「準備」やら検査後の「後遺症」により、体重はさらに減った。一番減った時で61キロ。4ヶ月半前に比べて14キロ減である。さすがに見た目にもゲッソリしていた気がする。
 

人間ドックで見つかった異変

体重がどんどん減っている最中、僕は「糖質制限すごいなー」と呑気にしてたわけだが、周囲がザワつきだし、当初は秋の予定であった人間ドックに早めに行かされることに。それが6月。体重が減ったことで前回の人間ドック(4年前)に比べて劇的に改善している数値も多かったが、2つ気になる点が。
 
一つ目は触診において先生から「甲状腺が腫れているかもしれない」と言われたこと。もう一つは、毎年数値が悪い肝臓ではあるが、今までずっと悪い項目以外のある項目が急に悪化してたこと。調べてみたら、その項目は「甲状腺が悪い場合に数値が悪化する」と書いてあった。そこで改めて「甲状腺が悪そうだ」と自覚した。
 
というわけで、上述のお尻やら大腸やらが一段落した9月下旬に甲状腺の病院に行ってみた。結果は「バセドウ病」。聞いたことはあるが、実際どんな病気かよくわからない。だが、とりあえず「長く付き合わなくてはいけない病気」であることは何となくわかった。
 

毎日の投薬と定期的な通院が始まった

ホルモンが大量に分泌されることにより、心臓などの各種臓器、器官が常時アクティブな状態になってしまい、その結果、臓器等に多大な負担がかかり、場合によっては死に。ざっくりいうとバセドウ病とはそんな病気。常時アクティブな身体の状態のため、大量のカロリーを消費し、痩せる。この数ヶ月の急激な体重減は糖質制限のたまものではなかったようだ(少しは寄与したと思うけど)。
 
この過剰なホルモン分泌を抑えるために毎朝薬を飲み、定期的に通院をしている。幸いホルモン値は現在は正常値にまで戻っている。その結果、体重も劇的に戻ってしまっている…。あと4、5キロで完全に戻ってしまう…。
 

「死」を急激に意識するようになった

ホルモン値も異常だったんだけど、看護士をやってる妹によると「それよりも肝臓の数値がヤバすぎる」とのこと。48歳で死んだ母親は最終的に何の病気で死んだのかよくわからないんだけど、肝臓が悪かったのは事実としてあって、そして母親は肝臓が悪いが、お酒は飲まなかった。僕と同じなのだ。
 
僕が16歳の時に母親が死んだ。その時に「人ってわりとあっさり死ぬ。急がないとすぐに死ぬ」って実感した。「死」というのはわりと近くに存在する、と。それでも日常においてそんなことは忘れてしまう。だが、今回久しぶりに「死」を近くに感じて、めちゃくちゃ焦った。恐怖というより焦りを感じた。まだ何も残せてない。
 
とりあえずとして、新たなメディアを完成させ、いくつかのメディアの取材を受けたりした。これらは僕の「焦り」からくるものだ。このままだと何も残せてないし、すぐに忘れさられてしまう。そんな焦りからアクティブに活動をしたんだけど、身体がついてこなくて、また焦る。
 

とは言え、全体的には体調は回復傾向にある気がする

肝臓の数値はまだ悪く、また、副作用なのかよくわからないけど、身体が痛い。突然身体の一部が痛くなるのだ。例えるならば、足がつった時のような痛みが身体のいろんな箇所でおきる。寝てる時も歩いてる時も電車に乗ってる時も仕事している時も。その痛みが出ないようにする薬というのも新たに処方されたが、その薬は肝臓に負担を強いるようで、肝臓の数値は一向に良くならないという堂々巡り。肝臓の具合が悪いので顔に吹き出物が出てしまうのが最近の悩み。どうしたものか。
 
とは言え、夏よりかは回復を実感している。夏はめちゃ疲れていたんだけど、今はそこまで疲労感無いし、なんとかやっている。上手く付き合っていかないといけない病気なので、このリズムというか状態に慣れないといけないと思ってる。今年後半はそんなこんなでかなり作業ペースが落ちてしまったが、年も変わるので、心機一転張り切ってやっていきたい。
 
今年は「本厄」だったわけで、来年は「後厄」になる。でも本厄より後厄が悪いわけがないので、大丈夫だろう。
 

2018年はチャレンジしたい

2018年はいくつかやってみたいことがある。僕はメディアが好きだし、サービス運営も好きである。なのでその辺を少し真剣にやっていきたいと思ってる。2017年にいくつかの新メディアをこっそりと仕掛けた。これらをちゃんと運営し、成長させたいと思ってる。その結果、法人化できたらいいなと。スタートアップ的な事業ではないので、粛々とやりたい。
 
この取り組みは個人的なものであるが、今関わっているいくつかの組織にも良い影響を与えることができるんじゃないかと考えている。バッティングするようなものではないし、バッティングするようなことはしない。あとはあれですね。もうちょっとお金に執着していきたいなと思います笑。執着というか、興味というか。価値というか…。
 
と、なんだか病気日記になってしまった…。2017年の総括と2018年の抱負を書こうと思ったんだけど…。抱負はまたどこかでまとめよう。ていうか、このブログがどういう方向性になってなっていくのか不安だ…笑
 

注力するメディアは絞っていく


 
お尻が痛くなる前に仕込み始めたブログメディア。とてもニッチな分野ではあるが、同種のメディアをやってるスタートアップが先日大きな資金調達をしてたので、やりようによっては…という感じか。途中で飽きてきたんだけど、パシさんバカさん徳さんあたりにチラっとこのメディアを見せたら、わりと好評だったので再びやる気が出てきた笑
 
ここ2ヶ月くらいはほとんど更新してなくてヤバいのだが、年明けたらまた地道に更新していく予定。母数が少ないのでまだ何とも言えないが、(更新さえすれば)ジリジリとトラフィックは上がっていきそうな手応えはある。いくつかのワードでは上位に来始めたので頑張ろう。
 
すぐに新しいメディアを立ち上げちゃいがちなのですが、結局放置になっちゃうので、2018年は選択と集中を心がけていきます。あとSEOメディアだけでなく、広告で回していく手法にもチャレンジしたいなと思ってます。実は広告ぶん回し系はやったことないので、少額でテストしながらやっていきたい。一体何屋さんなんだ、僕は笑
 
 

2017/12/31 

2017年を振り返ってみた

ほぼ日とフィールズという一見遠そうだけど近い2つの会社

約1ヶ月前に上場を果たした糸井重里率いる「ほぼ日」。公開日に高騰した株価も一段落して、最近はやや値を戻してきています。現在の時価総額は101億円。直近開示があった2017年8月期第2四半期の業績を見ると、売上高27億円、経常利益7億円。上期に販売が集中する傾向がある会社とはいえ、なかなか好調なのではないかと。

新規公開時の目論書に売上構成があったのですが、思ったよりも「手帳依存」なんだなと。


http://www.hobonichi.co.jp/ir/securities.html

ほぼ日大株主を見てみると、当然ながら糸井氏が35.78%で1位。2位には池田あんださんは糸井氏の実娘で、ほぼ日に勤務されているようです。そして山本英俊氏が19.97%で第3位の大株主。2016年2月に保有する株の一部を取締役、監査役に譲渡しているので、かつてはもっと比率が高かったみたい。

山本英俊氏といえばご存知パチンコ機器卸会社フィールズの創業者で現フィールズ代表取締役会長。ほぼ日では社外取締役にも就かれています。一方糸井氏もフィールズの社外取締役に就いています。山本氏がほぼ日の取締役になったのが2000年、糸井氏がフィールズ取締役になったのは2001年とそれぞれかなり前からなんですね。両社(者)の近しい関係がわかります。


(フィールズのサイトすごい。)

フィールズの沿革を見ると「1988年6月 愛知県名古屋市緑区に、遊技機の販売及び製鉄原料の販売を目的として株式会社東洋商事を設立」とあります。1988年というのは株式会社にしたタイミングであり、事業開始は1955年まで遡ります。

1955年に名古屋で山本浩三氏が「山本商店」を開業。スクラップ解体工事や工場設立など事業を拡大。1984年に浩三氏の長男の英俊氏が代表に就任し、1988年の改組という流れ。2001年にフィールズと東洋商事が分社し、それ以降はそれぞれの道を歩んでいます。

話を戻しますが、「ほぼ日」社の名前の由来でもある、同社のメインコンテンツ「ほぼ日刊イトイ新聞」はやっぱり良いなぁと思うのです。ああいったコンテンツを大人になっても作っていけたらなと思います。

2017/04/21 

ほぼ日とフィールズという一見遠そうだけど近い2つの会社