この10年

プロローグ

今から10年前の12月30日22時半。コッソリとブログを更新した。『これまでの10年とこれからのワクワク』と題したいわゆる「退職エントリー」というやつである。僕は創業から携わっていた会社を翌年2月末で去ることを世の中に告げた。とはいえ、年末押し迫った30日の夜。誰もインターネットなんぞやってないだろうと思っていた。しかしヌルっと界隈には広まり、SNSやら謎メディア『netgeek』などで少し話題にされた。
 
この時点では本当に次の進路について全く決まってなかった。27歳10ヶ月までフリーター(ほぼニート)生活をしていた僕が縁あって創業期の前職に潜り込んで10年。まともに就職したのが前職が初めてなので、この時が人生初の転職活動であり、何をどうすればいいのかもよくわからなかったが、有給が一ヶ月半くらい残っていたので、その間に決めればいいかなって思ってた。
 
退職エントリーを読んだいろんな人から「ウチに来ないか」とお誘いいただいたんだけど、その中で異業種で正直どんな業務があるのかもわからないVCに行くことに決めた。そのあたりのことは転職エントリー『フェローになりました』を読んでいただくとして、まぁとにかくEast Ventures(EV)でお世話になることになりました。
 
どういう業務が待っているかはわからないけど、僕もそれなりに経験あったし、なんとかなるだろうと楽観視してた。さすがに若い大学生とかと比べたら「できる」だろうから、いろいろ教えてあげちゃうぞーと思ったりしてた。転職前に何人もの大学生インターン、若い起業家などと話す機会もあり、「みんな優秀だなー」とは感じていたけど、まぁ言うても大学生でしょ、20代前半でしょ、と。僕は(自分で言うのもなんだけど)わりと謙虚な方だとは思うだけど、正直そういう気持ちも少しはあった。
 
 

衝撃

転職初日。今や笑い話として伝説化している「てるま事件」が忘れられない。けど、てるまのおかげで初日からみんなと仲良くできた気がするので、とても感謝している。この日は木下さん鶴岡さんアンリさんなど、いろんな人が「303」に来てくれて、ご挨拶することができた。アンリさん、てるまとは夜に食事にも行った。帰りに六本木ヒルズあたりを歩いていたら、ストリートビューの車が停車してて「六本木すげー」と思った。
 
二日目。太河さんに誘われて近くのカフェ『breaq』に行き、太河さんはそこで僕がEVに転職したことをFacebookに投稿した。「この内容で大丈夫ですかね?」と確認しながら慎重に投稿してくれたのを思い出す。ちょっと感激した。オフィスに戻ったあと「SEOが得意な若者がいるんで、大柴さんの知識を教えてあげてください」と太河さんに言われ会ったのがアリコー。話して数分で「やばい、僕なんかの知識と比べるレベルじゃない。圧倒的に高い。それにまだ20歳そこそこなのに、経験も豊富。正直教えることなんか1mmもない…」と感じた。
 
そして今度は鶴岡さん。外から見てた印象は「ネット大好きお兄ちゃん」って感じだった。それはそれで正しいんだけど、もっとぼんやりした感じの人なのかなって思ってた。でも実際に話してみると印象は変わる。想像以上に頭がキレる。そして経営者としての器の大きさを感じ、「こりゃとてつもない大物じゃないか…」と衝撃を受けた。
 
アリコーに鶴岡さん、その他次々に現れる優秀な若者たち。「いろいろ教えてあげちゃうぞー」という気持ちは木っ端微塵に砕け散り、「この先どうしたらいいんだ…」という恐怖とも不安とも言えない気持ちに包まれた。まじでどうしよう…。
 
 

(もらったステッカーを貼ったMBA。ステッカー余白部分をちまちまと切ったりしてから貼った。)
 

進化するためにここにきた

ここからの選択肢は大きく2つあると思う。1つ目はこれまでの経験、知識に基づいたフレームに固執し、そのフレームを相手の状況を鑑みずに当てはめるやり方。「知った風」を演じながら自分の成功体験にだけ基づいたフレームを押し付ける。全てが間違ったことを言ってるわけではないが、状況にそぐわないケースも少なくなかったりする。そんなスタンスのおじさんはわりと多い。2つ目は、素直に自分の無力さを受け入れて、アップデートしていくやり方。昨今話題になっているキーワードである「リスキリング」のようなことかな。それはそれでけっこう大変。
 
前者をやるのは簡単かもしれないけど、でもそれってなんかカッコ悪いなって。そもそも自分の経験、知識はたいしたことないことを悟ったし、進化するために転職したので、ここは後者の方を頑張っていくしかないと心に決めた。とはいえ、学校にきてるわけじゃないので、学びながらも一定の価値を提供していかなければならない。自分に出せる価値はなんなのか?それを日々考え、模索する日々が始まった。
 
とりあえず自分にできることはなるべく全部やろうと思い、営業同行やランディングページ作成、ライティングのお手伝い、オフィスの掃除などなど、実務面でのサポートにまずは取り掛かった。ただそんなに価値を出せた気がしない。しかしやるしかない。実務をやりながら、自分が提供できる価値は何かを模索していた。毎日無力感に苛まれていた記憶がある。

そんな中、自分のフレームを押し付けずに相手の状況、本音、悩みなどを素早く理解して、適切と思われる回答をしていくことをしようとしているうちに、「聞く力」がついてきた気がした。単なる傾聴力ではなく、「聞く力」。簡単に整理すると、

・聞く力がある:
 相手の話を理解でき、かつ相手の話を聞いてあげることができる。また、相手が「この人には話していいんだ」「話したい」と感じる

・聞く力がない:
相手の話を理解できたとしても、相手の話を最後までちゃんと聞かない。また、相手が「この人には話したくない」と感じる

こんな感じの整理。僕には特段すごい能力はなく、何かのスペシャリストではない。僕のような凡人が、すごい能力がゴロゴロ存在するスタートアップ界隈で生きていくには、この「聞く力」ってのが僕にとって重要なんじゃないかなって気がした。日々の業務でも鍛えられたし、転職と同時期に始めたBRIDGEでの連載『隠れたキーマンを調べるお』の経験も「聞く力」を醸成するために役立った気がする。
 
 

カサンドラ

一方その頃家庭では大きな問題に直面していた。奥さんがカサンドラ症候群のようになってしまったのだ。結婚して10年。無意識に奥さんを振り回し、不信感を貯めさせてしまっていたようだ。自分はけっこう良い夫だと思っていただけにショックだったし、どうしていいかもわからなくて悩んだ。職場でも家でも悩む日々。しかし元は全て僕の責任であるので、解決にむけて試行錯誤していった。2016年は正直辛い一年だった。しかし2017年明け、ようやく解決の糸口が見え、そこからは徐々にであるが平穏な日も増えていった。
 
そして、この時期にいろいろ悩んで考え、試行錯誤したことがその後の起業家たちとのコミュニケーションにも活かされた気がしている。
 
転職初期に優れた若者と出会ったことによる「自分の価値の模索」、奥さんとの関係改善における試行錯誤、認識の調整。どちらも大変だったけど、そのおかげでかなり進化できたと思う。最初の3年に起きた二つの出来事がその先の僕を大きく変えた。めちゃくちゃ成長した実感がある。
 
 

VC向いてないんじゃないか?

仕事において自分が価値提供できることは何かを考えていた頃、同時に「VC向いてないんじゃないかな?」という思考も常に存在していた。前職では主に経営陣として過ごしていた。経営とは「決定」するのが仕事とも言える。一方でVCに転職後は、投資先起業家とのMTGなどで「こっちの方がいいんじゃない?」と提案することはあるが、決めるのは起業家の仕事である。「決められない」もどかしさが自分の中に溜まっていくように感じた。
 
しかし、客観的立場で物事を見て、相談にのったりすることは向いているように思えた。前職時に「経営企画室とか社長室とか、そういう事業部に属さないポジションにおいた方が価値を発揮できると思うんですよね」と社長によく話していたが、まさに今やってる仕事はそれに近いのではないか?それに気づいてからVCに向いているのかもしれないと逆に感じるようになった。まぁ単純に仕事に慣れてきたってのもあるかもしれないが。
 
そんなこんなで転職から3年は悩み、模索する時間が多かったが、若い優秀な人たちとコミュニケーションとるのは楽しかったし、携わっていた会社がどんどん大きくなったり、MAされたりするのを間近で見ることができたのはとても大きな財産になったなと感じている。あの日あの時あの場所にいなければ見ることができなかった景色。すごく良いタイミングでスタートアップに携わることができたなと思う。
 
 

本厄

家庭の問題もようやく上向いてきた気がした2017年。体調というか気分的に元気になってきて、毎週無闇にすごい歩いていた。散歩ってレベルじゃないくらい歩いていた。国道1号線沿いにある地元駅から「徒歩でどこまで行けるか?」にチャレンジしたりもした(結果、保土ヶ谷で景色に飽きて、電車で大磯まで行き、そこから平塚まで歩いた。合計25kmくらい)。多肉植物や観葉植物を大量に購入して育て始めたり、ダシイレさんとイベントしたり(ダシイレ調べるおナイト)、単独イベント「調べるおmeetup」も開催した。とにかくアクティブに過ごした。
 

(ファンコミュニケーションズさんのオフィスをお借りして開催した「調べるおmeetup」)
 
小部屋が整備されたのもこの頃。居場所ができたことで、毎日小部屋に出勤するようになった。また毎日小部屋にいることで、「小部屋に行けば調べるおさんはいる」というブランディングができあがり、いろんな人が気軽に立ち寄ってくれるようになった。コロナで小部屋文化がいったん途切れてしまったが、来年以降徐々に復活させていきたいものだ。そんなわけで、一見して順調そうな毎日のような感じだったが、この年は「本厄」。これで終わるようなことはなかった。
 
春先から「夜ごはんだけ炭水化物抜きダイエット」というユルい取り組みをはじめていた。今までどんなダイエットもうまくいかなかった僕だが、なぜか今回はガンガン痩せていった。4ヶ月半で14kg痩せた。マジでこのダイエットすげえ!と思ってみんなにドヤっていたのだが、結論「単なる病気」だった。甲状腺の病気であるバセドウ病になってしまっていたのだ。アクティブな気分になっていたのも、病気のせいだったかもしれない。バセドウ病投薬治療が開始され、わりとすぐにホルモン値は落ち着いたが、「死」というものを身近に感じてしまい、なんらかの生きた証を残さなきゃ!という気持ちになって、いくつかのWebメディアからのインタビューにこたえたりした。有名なとこでいうと『CAREER HACK』。
 
 

2018

体調は比較的良くなってきて、通常業務は全く支障のない程度にまで落ち着いた2018年。毎日小部屋に出勤して、たくさんの来客をお迎えしていました。ただ、一番小部屋にやってきていたのは木下さんですが。
 
そんな木下さんの訪問回数を超える勢いでこの頃小部屋にやってきていたのが、同じビル7階のEVシェアオフィスにいたFinT大槻ゆいちゃん。EVでのインターン、留学、スタートアップインターンを経て2017年に起業したものの、共同創業者も去り、事業も全く上手くいかず、キャッシュも底を尽きかけていた。とりあえず毎週定例MTGをやることになり、FinT立て直しの策を一緒に考えた。まぁけど僕がやったことは悩みを聞いたり、お菓子をあげたりしただけなんだけど。その後、秋から現在の主力事業であるSNSマーケ事業を開始したことによってついに上昇ムードになっていき、そこからの大躍進はみなさまもご存知の通りかと思います。

一区切り感

EVとは別に2015年末から前職の非常勤取締役になっていたのだが、2019年3月をもって退任した。ずっと保有していた株も手放した。そのほか、いくつかお手伝いしていた会社との契約も終了。そして秋にはBASEが上場を果たす。EVに転職してすぐに投資先支援の一環としてBASE社の監査役になり、BASEオフィスで過ごす時間も多く、たくさんのメンバーともコミュニケーションとった。個人的に思い入れの深い会社。東証にも初めて行って、打鐘も見ることができた。
 
一つの区切りを感じて、この先の人生について改めて考えてみた。考えた結果、しばらくはこのままVCのお仕事をやっていこう。そう決断した。BASEはパブリックな存在となって羽ばたいていったが、FinTを始め、他にもたくさんの関わっている会社がある。そんな起業家、会社をもう少し近くで見ていたい。そう思った。
 
これまでは太河さんが担当していた会社を引き継ぐような形でやっていたが、「来年からは新規投資もしよう」と決めた。「続ける意思が曖昧なのに新規投資するのはよくない」とずっと思ってきたが、続ける意思を決めたので、新規をやろうと。そう思わせる起業家に出会ったことも大きい。「来年はやってやるぞ!」と決意を新たに2019年は暮れていった。まさか新しい年があんなことになるなんて…。
 

(EV10周年で初めてジャカルタに。刺激的でした)
 

コロナ

2019年に何箇所か地方イベントに参加する機会があり、地方に興味を持った。スタートアップは東京だけのものではない。これから少し地方に行く機会を増やしていきたい。そんなことを2020年の正月に考えていた。
 
そんな折、海の向こうから何やら不穏なニュースがやってきた。新型コロナウイルス。最初は大した話じゃないだろうと思っていた。しかし次第に日本国ないでもその影響が出てきて、渋谷の某IT企業が全面リモートに切り替えるなどもあり、渋谷の街も人が減っていった。トイレットペーパーが世の中から消えたのも思い出される。
 
流行り病とは関係なく、僕の身体にも変調が見られた。動悸、息切れが半端ない。普通に歩くだけでゼエゼエと呼吸が乱れてしまう。「これ、もしかして…」と甲状腺の病院に行ってみたところ、見事に再発。心臓の状態も良くなくて、無理できない身体になったこともあり、コロナ本格化も合間って、自宅からの作業が始まることとなった。
 
コロナの影響で伸びた会社もあったが、苦しい時期をむかえた会社も多かった。みんなそれぞれ頑張って乗り切った。この経験がその後にきっと活きてくると思う。
 
年末には体調も落ち着き、念願の地方遠征も少しずつ始められるようになった。2021年からは結構な頻度で地方に行くようになった。
 
コロナも体調も良くなったり、悪くなったりを繰り返しながら、基本的には良い方向に向かっていると思う。まぁ2023年、再び僕のバセドウ病は再発したのだが…。2024年も引き続き体調の様子をみながら、投資先、全国の起業家、全ての関わる人になんらかの価値を提供できるように頑張っていきたい。
 

(桜島は本当に感動するので、ぜひ行ってみてほしい)
 

時代に適応していく

Withコロナという言葉があったが、その状況に悲観するだけでなく、またそれまでのスタイルに固執することなく、柔軟にその時代に適応していく必要があることをこの数年で僕たちは実感したと思う。
 
10年前、転職してすぐに僕も「柔軟に適応」していく必要を感じた。なんだか同じようなことだなと思う。スタートアップの世界においてこの「柔軟に適応」というのが非常に重要。この世界いいる限り、これからも柔軟に生きていきたい。いや、この世界じゃなくても柔軟性は重要なのかもしれない。
 
10年前に「自分自身の改革」の必要性を感じ、新たな世界に飛び込んだわけだが、それなりに「改革」できた気はしている。成長を実感している。転職したことは僕の人生にとって大成功だったなと言える。ただ100%満足してるかというとそうではない。もっとやれた、もっと成長できたとは思う。まぁその辺の課題はこの先の人生でやっていければいいのかもしれない。多少の不満足感があった方が人は進化できる。
 
 
 

2023/12/29 

この10年

ゲストを誰にするか悩んでる木下さんに「それなら金井さんでしょ」と言った話 #sday

「第二回目は女性の起業家を呼びたい」と言って何人かの名前を挙げていた木下さん。それを聞いてて「いやいや、それなら金井さんしかいないでしょ」と推した結果、無事にsday第二回のゲストは金井さんになりました(僕の記憶では)。

そんなわけで、次回、7月15日のSTARTUP DAYゲストは「キャリア相談」事業を展開するポジウィル金井さんです。めちゃめちゃ楽しみですね。金井さん、最近もさらにノリノリですからね。

 

STARTUP DAYは「大きな会社、事業をみんなに作ってもらいたいので、そのために有益な情報を発信するイベントにしたい」的なことを木下さんは語っていたのですが、大きな会社、事業を作ろうと思ったきっかけ、若くしてその礎を築いた秘訣みたいなのを第一回のTANP斎藤さんの会では伺った感じになっています。

そして第二回の金井さん会では「大きな会社を作るにはそれなりに人員が必要。そのためには良い人材を巻き込んで引き入れるないといけない。その辺の秘訣や失敗談などを聞きたい」って感じかなと(木下さんの考えを)推測しています。

そして、創業事業から何度かのピボットを経て、現在の主力事業である「キャリア相談」という領域を見つけ、市場を創っていったプロセスなども聞けたらなと思っております。ちなみに聞くのは木下さんですけど。

 
***
 

さて、冒頭で「金井さんしかいないでしょ」と僕が推した大きな理由は、単純に、金井さん(ポジウィル)がスカイランド投資先だからです。せっかく投資先でイベント趣旨にマッチした会社があるならばそこを推すべきだろうと。でも、それだけが理由ではない。個人的に「金井さん、この1、2年でめちゃ成長したな」と思っていて、その理由を知りたかった、というのも大きい。

僕はHive Shibuyaの「小部屋」ってとこにいるんですが(詳細は割愛)、木下さん(スカイランズ)が呼んだ数多くの起業家を小部屋の窓から長年に渡って見てきました。時には小部屋に乱入してきて、そこでMTGを始めたりするのも横目で見ていました。

2018年の春か初夏くらいにHive Shibuyaに金井さんは出入りするようになったのだが、金井さんのコミュニケーション力の高さに圧倒され(半ば引いてた)、僕は「この人とは距離を置こう」と心に決めたのでした(同時期にArii新井くんも木下さんがどこかから連れてきて、彼に対しても同様に「距離を置く」ことに決めた。圧が強すぎた)笑。しかしながら、木下さんは小部屋にどんどん侵入し、小部屋のソファで金井さんとMTGをしたりしていた。もうカオスすぎて辛かったです涙。

※ちなみにOGPの画像は小部屋で謎の講習会が開催された時の模様(木下さんツイートより)。なぜ小部屋を使うのか。
 
 
そんな感じで月日は流れていったが、いつ頃だろう、2019年の夏くらいから、Twitterなどの発言から「あれ、なんか金井さん、すごい経営者として成長してるのでは?」と感じるようになった(上から目線でごめんなさい)。成長を感じると同時にめちゃくちゃ苦悩してるのも感じたので、その頃DMして、初めてちゃんと話してみた。ソラスタのシェアオフィス。

その後はTwitterをぼんやり眺めて進捗を知る程度であったが、明らかに成長しててすごいなと影ながら尊敬していています。何度かの失敗とそれを乗り越えた力。元々持っていた巻き込み力、そして人間的な深さみたいのが出てきたのではないかと思ってる。初期の頃の「イェーイ!」感は影を潜め、真の経営者に脱皮してきたのは間違いない。

 
***
 

もう一つ聞いてみたいなと思うのは、金井さんはスタートアップコミュニティに元々いたわけではないと思うけど、そこからどうして起業し、そして資金調達をしていったのか。その辺も知りたい。いろんなとこで「スタートアップコミュニティにいないから不利」とか「コミュニティにいないと情報が入ってこない」とか言われたりするのだが、金井さんはどうだったのかな?とか。

金井さんと1対1で話したのは、前述のソラスタくらいなので、実は知らない部分が多い。ここまでつらつらと書いた「評価」もSNSやnoteを眺めた上での感想にすぎない。今回のイベントでどこまで踏み込んだ話が聞けるかは未知数ではある(時間的制約もあるし)が、きっと今まで知らなかった秘話が聞けるんじゃないかと期待してる。楽しみ。

 
***
 

はい、そんなわけで、当時は木下さん的「2018年の一番良い投資の一つ」と言っていたポジウィル金井さんがゲストのSTARTUP DAYは7月15日です。みなさんもお時間作って参加してみてください!


 
 

2021/06/30 

ゲストを誰にするか悩んでる木下さんに「それなら金井さんでしょ」と言った話 #sday

事業も人生も悩んでた起業家の話

2018年10月。bosyuをしたら結構な数のご連絡をもらい、気をよくして2週間後に再度bosyuかけたら13人しか集まらなかった。その13人の中に平さんがいた。bosyuのメッセージには「事業も、人生も悩んでいるので一度お話ししてみたいです」と書いてあった。
 

 
「『make my room by Little Rooms』(当時はand home)というインスタメディアを運営していて、フォロワーも増えているが、このまま続けてもいいのでしょうか?」というような話をされた。
 
フォロワーが増えているということは、その世界観に共感している人が日に日に増えているということで、それはサービスをやる上で何よりも大切なこと。「何も問題ないよ。素晴らしいので、このまま続けた方がいいよ」といったことを言った。
 
この1時間くらいのMTGの中で平さんはなぜこのサービスをやっているのか、なぜ会社を辞めてまでこだわりのサービスをやっているのかなどを熱く語っていたのを覚えている。自分がやっていることへの自信と、自信の無さが両極端に同居していた。
 
サービスを続けていくには資金が必要だと思うので「もし希望があれば出資させてもらいたい」という旨のことを話したが、資金調達を受ける覚悟、自信が無いということなので、無理に押さずに応援することにした。彼女自信が納得いくフェーズになるまで待つことにした。
 
その日の夜、そういえば元同僚がFacebookで「趣味でやってるインテリアのインスタ垢がインスタメディアで紹介されました〜」と喜んで投稿していたのを思い出し、改めて見てみた。そのインスタメディアは『make my room』だった。

***

その後、一度だけインスタライブの感想をDMしたことはあったが、それ以外は連絡せず、見守っていた。そしてbosyuから7ヶ月後、今度は平さんから連絡があった。新規に開設したEC(現在の『Little Rooms』)の初動がめちゃくちゃ良くて、その報告だった。「少し自信がついて明るい気持ちでやっています笑」と書いてあったので、良かったなと思った。ただ、まだ資金調達の話は出てこなかったので、もうしばらく待つことにした。
 
そしてまた月日が流れ、EC開始の報告から5ヶ月後の2019年11月、ついに「資金調達の相談」の連絡がきた。最初のbosyuからちょうど一年経っていた。もろもろの調整などあり、年を越してしまったが、2020年1月に無事にシードラウンドを終えることができた。EVと僕が信頼しているヤナティさんとで出資させてもらった。ヤナティさんも「磨けば光る原石だね」とおっしゃってくださった。
 
調達後はコロナの影響で思うように事業が進まなかったり、組織作りでつまずいたりもしたけど、概ね順調に事業を伸ばしてきている。そして今回の調達。新たな資金と新たな株主を迎えてより一層のスピードアップをしていくはず。



 
***

僕は平さんのことを「狂気系起業家」と呼んだりしてる。狂気の無い起業家はいないが、サービスに対して狂気的に向き合ってるのが平さんの特徴。余計なことにはわき目も振らず、ひたすらに事業を創ってる。その姿勢を賞賛の意味を込めて「狂気」と呼んでいる。この姿勢は最初にHive小部屋で会ったときから一貫している。そこが一番素晴らしいなと思っている。
 
よくイベントなどで「どういう起業家に出資したいですか?」と聞かれるが「わき目も振らず、事業のことに狂気的に向き合ってる起業家が好きです」と答えるようにしている。
 
 
 

2021/05/18 

事業も人生も悩んでた起業家の話

「FinTの蕭何」が欲しい

スタートアップ界隈では三国志好きな人が多い印象があります。横山光輝の『三国志』は僕も中学時代に全巻揃え、それ以降、漫画、ゲーム、書籍などなど、数多の三国志関連商品に親しんできました。このGWもPS2版の『三国志9』をやっていました(通算何回統一してるのだろうか…)。
 
三国志と言えば前述の横山光輝の漫画が有名ですが、起業家の中では『蒼天航路』の方が人気があるっぽい。横山三国志は主人公が劉備で、蒼天航路は曹操。やはり起業家的には曹操の方が共感わきやすいのかもしれませんね。僕は横山派ですが。
 
横山光輝の中国史漫画はだいたい読みましたが、『項羽と劉邦』も好きで全巻持っていました。『項羽と劉邦』は『キングダム』でおなじみの始皇帝死後の秦の腐敗と項羽、劉邦による戦いを描いた漫画です。
 
『三国志』に比べて『項羽と劉邦』の方がビジネス的示唆が多い気がしているので、多くの人に読んで欲しいなと思うのですが、好きなエピソードを一つあげると、漢中争奪戦の話。
 
別ルートで項羽軍と劉邦軍が漢中を目指したわけですが、軍事力的には項羽軍が圧倒的だったのにも関わらず劉邦軍が先に漢中にたどり着いた。項羽は行く先々で敵を殲滅させ、残虐な行為をしたために道中が進むにつれて敵の抵抗がどんどん激しくなり、行軍スピードが落ちた。一方劉邦軍は道中の敵軍と無駄に戦うことなく、平和的解決をしながら進んだ結果、行けば行くほど敵の抵抗が弱わり、スムーズに漢中にたどり着いたという話。これは個人的にめちゃくちゃ刺さっていて、人生の教訓にしています。この世界、無駄に敵を作り、無駄な戦いで消耗している人が多い…。
 
そんなこんなで(めちゃくちゃ端折りましたが)結局最終的に劉邦が項羽軍を垓下の戦いで滅ぼして天下統一し、漢を建国。以後、漢は400年続きます(王莽による中断あるけど)。
 
で、ようやく本題なのですが、漢統一の論功行賞で一番評価を受けたのは垓下の立役者韓信でも「王佐の才」張良でもなく、蕭何が選ばれた。ここに劉邦の凄さがあるなと。
 
軍事力では項羽軍が圧倒的だったにも関わらず、大事なところで勝ちきれなかった原因は、先にも述べた残虐性もあるが、それ以上に兵站の枯渇があった。あと一歩のところで兵糧が尽きて撤退せざるをえなくなったりした項羽軍に対して、劉邦軍は蕭何が常に兵糧と兵隊を前線に滞りなく補充し続けた。これが勝利の決定的要因になったと劉邦は判断し、蕭何を戦功第一とした。このエピソードを読んだ時、甚く関心したものです。
 
インターネット企業における「兵站」とは端的に言うと「人」と「お金」です。優れた人員を採用し、経営陣や現場に滞りなく届け、彼ら彼女らに給与を払い続ける必要があります。それが滞れば、どんなに良いサービスをやっていようが続けられません。急成長中のFinTではこれからもっと「人」が必要になってきます。優れた人をどんどん集めていかないといけない。HR部門を強化していかないといけない。これが目下の課題。「FinTの蕭何」が必要なんです。これを言いたいために1,300文字近くも費やしました。HRチーム全員で「FinTの蕭何」を目指していって欲しいし、そのためにはまずHRチームを強化しないといけない。
 


 
FinTがどういう会社なのかはFinT公式マガジンをご覧ください。GW中に記事がいっぱい更新されてました。FinTで働く人たちのことがわかるはずです。さらに14日まで「夜面談」って企画もやってるみたいです。
 

株式会社FinT
FinT 夜面談 - 株式会社FinT
https://herp.careers/v1/fint/zpyoRHVsIHqa
株式会社FinTでは現在夜面談応募を募集しています。

 
大将軍、丞相クラスの人材も求めてるので、そちらもぜひ来て欲しいです。
 
 

2021/05/06 

「FinTの蕭何」が欲しい

地方のスタートアップイベントに何度か参加したのでメモっとく


 
「地方でスタートアップが盛り上がる条件とは?」みたいなタイトルにしたかったけど、キャラじゃないのでやめました。
 
先日、鹿児島のピッチイベントにお呼ばれして行ってきました。去年12月に初鹿児島だったんですが、それから3ヶ月しか経ってないけど呼んでいただけてありがたい限り。直前でトラブルあって少しバタバタしたけど、総じて良いイベントだったような気がする。また、鹿児島の前後に福岡にも立ち寄り、現地のスタートアップ施設であるfgnで何人かの起業家等とお話できたので有意義だった。
 
今年に入って福岡2回、鹿児島1回、去年は福岡1回、鹿児島1回、浜松1回、一昨年は浜松1回、福岡1回、その前にも名古屋、福岡などスタートアップ関連イベントでお邪魔させていただいた。本当はもっと積極的に各地にでかけたいのだが、コロナの状況ではなかなか難しい。それでも何度か地方のイベントに参加する機会を得て、地方の可能性を感じたわけだが、ちょっと僕の地方スタートアップに対する考えを書いておこうかなと思った。
 
(文中に「地方」という単語を使っているが、本来は使いたくないなと思ってる。自分のいるところが「中央」でその他が「地方」なので。ただ便宜上「地方」という言葉を用いて書いているので、ご了承のほど)
 
 
 

「起業」という選択肢が加わればいい

ピッチイベントやStartup Weekend(SW)に参加しているからと言って、闇雲に「起業」をする人を増やしたいわけではない。これは東京だろうが地方だろうが関係なく、そう思っている。「起業はリスク」とはあまり考えてないが、人には向き不向きがある。また、やりたい事を実現する手段として「起業」が適していない場合もある(大きな会社の一員だからできることは多い)。とは言え、進路の選択肢の中に「起業」というものが入るのは素晴らしい事だなと思っている。
 
東京では木下さんの啓蒙活動などもあって「起業」という選択肢の認知は広がったのではないかと思うが、地方ではまだそこまで「起業」の認知は低い気がする。認知を広げて「(起業という)生き方もあるんだな」と、まずは興味を持ってもらえたらいい。それくらいに考えているし、別に起業しなくてもいい。
 
SWに何回か審査員、コーチをさせてもらってるが、そこの参加者から新卒で道元坂のベンチャーに入った人や地元の大手企業から東京のスタートアップに転職した人もいる。SWやピッチイベントなどを開催することによって、スタートアップの存在を知り、新卒で入ったり、転職したりする人が増えればまずはOKかなと思う。
 
 

「ムラ」だから良いことはある

「ムラ」と揶揄されることもある東京スタートアップシーンではあるが、僕は「ムラ」が悪いことだとは思っていない。その一番の理由は、密なネットワークにより、悪いことがしにくいという点だ。例えば、悪どい条件で出資したような投資家の情報はすぐに知れ渡る。そうなるとその投資家は「ムラ」の中では活動できなくなる。「ムラ」という小さな、濃密なコミュニティだからこその相互監視的なシステムが自然と出来上がってるのは、起業家にとっては良いことかなと思う。
 
投資家としてはなるべく良い条件で出資したいものではあるが、ただそこにはフェアバリューのようなものがある。起業家の戦いに長期に渡ってご一緒するには、短期的な損得ではダメで、フェアにいかないといけないと思う。「ムラ」が形成されていき、昔よりもだいぶフェアな舞台になってきたように思う。一方で地方には「スタートアップムラ」が無いので、アンフェアな取引が散見される。
 
SWでとある地方に行ったとき、地元で会社を経営しているおじさんが参加していた(ちなみに、SWは初めて会う参加者同士がチームを作り、サービスを考え、最終日に発表するというイベント)。そのおじさんはサービスの相談はそこそこに「エンジェル投資って儲かるんですか?やってみたいんですよ」と質問してきた。たぶんそういうおじさんが各地にいる。東京にもいると思うが、「ムラ」の中には侵入しにくい構造になってる。地方にいるそういうおじさん(おばさんもいるかもしれない)を僕は正していきたいという気持ちが強い。
 
 

東京と地方の「情報格差」とは何か?

「地方だから」「コミュニティ(ムラ)にいないから」情報が無いと言う人は多いが、はたしてそうなのだろうか?といつも疑問に思う。サービスの流行や海外事例などは検索すればすぐに出てくる。そこに東京も地方も格差はない。では、前述のような事を言う人の共通点は何かというと、自分で積極的に情報を取りにいってない点である。「ムラ」の真ん中にいても、何もしなければ情報は入ってこないし、地方にいても貪欲に情報を取りにいってる人は何事も詳しい。みんなもっと情報を取りにいく努力をした方がいい。
 
人的ネットワークにおいて入ってくる情報に関しても、これも実は東京、地方で差はそんなに無いのかもなと思う。ゼロとは言わないが、コロナの状況になって物理出社も減ったし、オフラインイベントも減った。有名な起業家やVCの人とのオフラインでの接触機会地方格差は小さくなったと言える。
 
また、地方でのオフラインイベントに登壇などするには時間とコストがかかる。しかし、ほとんどのイベントがオンライン化され、「オンラインならば登壇できます」という有識者もいると思うので、実はチャンスかもしれない。オフラインならば会えないような大物の話を聞く事ができるかもしれない。実際に「オンラインならば」と有名起業家のセッションがfgnで実現されたらしい。
 
オフラインのメリットは確かにある。しかし、名刺交換などしなくても、SNSで繋がることはできる(名刺交換してもほとんど忘れてしまうものだ)し、メッセージや資料などをそえると、単なる名刺交換よりも相手に覚えてもらえるかもしれない。
 
そういうわけで、情報格差ってのは能動的アクションと柔軟な発想である程度埋められるのかなと思う。やっぱり地方における一番の「情報格差」は前述のような「おじさん情報」が少ないようなことなのかなと思っている。甘い話を聞いてもいったん地元のVCや僕たちのような人に相談することをオススメする。
 
 

(先日福岡のfgnで開催されたイベントに登壇中のてるま氏
 

地方の可能性に目を向ける

事業によっては東京よりも地方の方がニーズがあるものも多い(山梨でやってる某氏に今月会いに行く予定だ)。また仮説検証のしやすさという点で地方が適している場合もある。昨年投資させてもらった某社は、仮説検証においては東京じゃない方が良いのでは?ということで浜松でまずはやってみることを決断し、現在も当地で強力なパートナー企業とともに仮説検証を回している。地元の強力な企業とワンチャン提携できちゃうのも地方の良いとこかもしれない。

東京に拠点を置く私たちは、良くも悪くも「都心の事情のインサイダー」です。そこに入りすぎないからこそ見える課題とその解決方法、プロダクトセンスというのを期待しています。
【TLM 木暮】共感やアテンションが重要になる2021年のコンシューマサービス(DIAMOND SIGNAL)

てるまがSIGNALで語ってたこの箇所。これは僕もまさにそう感じるところ。地方に行くと毎回新たな視点をもらえる。現地の起業家もそこにいるからこそ見える課題の解決に取り組んでいて、僕たちからすればとても新鮮だ。東京ではないから戦える事業、領域ってあると思うし、じゃあその傾向があるのかな?と先日調べた。


調べてみると、大学発ベンチャーが多い。てるまが言うように「C向け」の可能性も高いと思うが、現状はまだ少ない。
 
 

地方でスタートアップが盛り上がるには?

地方でスタートアップが盛り上がるには、いくつかの条件があるのではないかと思っている。現状考えてる条件は以下の4つ。この4つが全てそろっていると盛り上がる。

「行政のやる気」「都市の規模」「若者の数」「ロールモデル」
 
例えば福岡がその良い例だ。最近よく行く福岡にはfgnという施設がある。
 

 
ここは行政と地元の企業(福岡地所)、ベンチャー(GMOペパボ、さくらインターネット)が運営委員会として運営してる施設。運営委員会(事務局)の官民連携、地元企業とベンチャーの連携のバランスが良いなと思ってる。高島市長のやる気が市の職員にも伝わっているのがわかる。地方でスタートアップが盛り上がるには、行政の理解度と柔軟性、参加度が思っている以上に重要なのかもなと最近思うようになった。行政が民間に委託するだけという図式ではなかなかうまくいかなそうな感覚を持った。行政の大いなるミッション(と市長などの強力なリーダーシップ)の元に地元企業、ベンチャーなどが協力し合って運営がなされるのが一つの解答なのかな。
 
浜松市も二度ほどSWで訪れたが、二度とも鈴木市長が審査員として参加していた。「俺はスタートアップイベントだけは全て参加するようにしてる」と市長もおっしゃってたくらいやる気がある。ちなみに鈴木市長はかつて東京で広告代理店を起業して長きに渡って経営してたそうで、SW審査員としての質問も鋭いものだった。また電動キックボードのLUUPの実証実験なども浜松で行われたが、これは市長のスタートアップに対する理解度の高さを物語るエピソードと言える。

行政のやる気:福岡も浜松も市長がやる気
都市の規模:福岡市は約154万人、浜松市も約80万人の人口を抱える
若者の数:福岡市は九州大学、浜松市は静岡大学などともに複数の大学が存在する

「ロールモデル」に関しては福岡ではペパボ創業者で現在はCAMPFIRE代表をつめる家入さんが挙げられる。ペパボの支社も福岡にあり、ペパボ中心に盛り上がったような印象はある。最近ではnulabの存在が大きい。浜松はYAMAHA、SUZUKIなどの大企業を生み出した街であり、元来起業家文化が存在する。浜松発のスタートアップ的ロールモデルはいないが、浜松出身の起業家は多い。彼らが今後浜松のスタートアップシーンを盛り上げていく可能性はある。
 
最後に鹿児島。トップの画像は甲突川から桜島をのぞむ風景。市電が走り、独特の雰囲気を持つ街。老舗デパート山形屋の建物はほんとすごくて圧倒される。そんな鹿児島にはmark MEIZANというスタートアップ施設がある。ここも福岡fgnと同じように官民が連携して運営している。SIGNALでも先日記事が上がっていた。

DIAMOND SIGNAL
高校生エンジニア起業家も誕生──鹿児島が「スタートアップの街」に変化し始めてい...
https://signal.diamond.jp/articles/-/647
鹿児島がいま、面白い動きを見せている。2019年2月に立ち上がった、鹿児島市のクリエイティブ産業創出拠点施設「mark MEIZAN(マークメイザン)」が中心的な役割を担い、地域資源を使ったクリエイティブ産業の創出やスタートアップ支援、そして起業したい人の育成・...

コロナ禍においてオンラインへの移行が加速した社会ではあるが、やはりこういった拠点は大事だ。鹿児島もポテンシャルはあると思う。なんといっても維新を成し遂げた街なんだから。
 
「行政のやる気」「都市の規模」「若者の数」「ロールモデル」。この4項目がそろえば、街全体として盛り上がっていくだろうし、その上で僕らも何らかの刺激を与えることができたらいいなと思う。要は「また呼んで欲しい」ということです。(完)
 
 

2021/04/07 

地方のスタートアップイベントに何度か参加したのでメモっとく