この10年

プロローグ

今から10年前の12月30日22時半。コッソリとブログを更新した。『これまでの10年とこれからのワクワク』と題したいわゆる「退職エントリー」というやつである。僕は創業から携わっていた会社を翌年2月末で去ることを世の中に告げた。とはいえ、年末押し迫った30日の夜。誰もインターネットなんぞやってないだろうと思っていた。しかしヌルっと界隈には広まり、SNSやら謎メディア『netgeek』などで少し話題にされた。
 
この時点では本当に次の進路について全く決まってなかった。27歳10ヶ月までフリーター(ほぼニート)生活をしていた僕が縁あって創業期の前職に潜り込んで10年。まともに就職したのが前職が初めてなので、この時が人生初の転職活動であり、何をどうすればいいのかもよくわからなかったが、有給が一ヶ月半くらい残っていたので、その間に決めればいいかなって思ってた。
 
退職エントリーを読んだいろんな人から「ウチに来ないか」とお誘いいただいたんだけど、その中で異業種で正直どんな業務があるのかもわからないVCに行くことに決めた。そのあたりのことは転職エントリー『フェローになりました』を読んでいただくとして、まぁとにかくEast Ventures(EV)でお世話になることになりました。
 
どういう業務が待っているかはわからないけど、僕もそれなりに経験あったし、なんとかなるだろうと楽観視してた。さすがに若い大学生とかと比べたら「できる」だろうから、いろいろ教えてあげちゃうぞーと思ったりしてた。転職前に何人もの大学生インターン、若い起業家などと話す機会もあり、「みんな優秀だなー」とは感じていたけど、まぁ言うても大学生でしょ、20代前半でしょ、と。僕は(自分で言うのもなんだけど)わりと謙虚な方だとは思うだけど、正直そういう気持ちも少しはあった。
 
 

衝撃

転職初日。今や笑い話として伝説化している「てるま事件」が忘れられない。けど、てるまのおかげで初日からみんなと仲良くできた気がするので、とても感謝している。この日は木下さん鶴岡さんアンリさんなど、いろんな人が「303」に来てくれて、ご挨拶することができた。アンリさん、てるまとは夜に食事にも行った。帰りに六本木ヒルズあたりを歩いていたら、ストリートビューの車が停車してて「六本木すげー」と思った。
 
二日目。太河さんに誘われて近くのカフェ『breaq』に行き、太河さんはそこで僕がEVに転職したことをFacebookに投稿した。「この内容で大丈夫ですかね?」と確認しながら慎重に投稿してくれたのを思い出す。ちょっと感激した。オフィスに戻ったあと「SEOが得意な若者がいるんで、大柴さんの知識を教えてあげてください」と太河さんに言われ会ったのがアリコー。話して数分で「やばい、僕なんかの知識と比べるレベルじゃない。圧倒的に高い。それにまだ20歳そこそこなのに、経験も豊富。正直教えることなんか1mmもない…」と感じた。
 
そして今度は鶴岡さん。外から見てた印象は「ネット大好きお兄ちゃん」って感じだった。それはそれで正しいんだけど、もっとぼんやりした感じの人なのかなって思ってた。でも実際に話してみると印象は変わる。想像以上に頭がキレる。そして経営者としての器の大きさを感じ、「こりゃとてつもない大物じゃないか…」と衝撃を受けた。
 
アリコーに鶴岡さん、その他次々に現れる優秀な若者たち。「いろいろ教えてあげちゃうぞー」という気持ちは木っ端微塵に砕け散り、「この先どうしたらいいんだ…」という恐怖とも不安とも言えない気持ちに包まれた。まじでどうしよう…。
 
 

(もらったステッカーを貼ったMBA。ステッカー余白部分をちまちまと切ったりしてから貼った。)
 

進化するためにここにきた

ここからの選択肢は大きく2つあると思う。1つ目はこれまでの経験、知識に基づいたフレームに固執し、そのフレームを相手の状況を鑑みずに当てはめるやり方。「知った風」を演じながら自分の成功体験にだけ基づいたフレームを押し付ける。全てが間違ったことを言ってるわけではないが、状況にそぐわないケースも少なくなかったりする。そんなスタンスのおじさんはわりと多い。2つ目は、素直に自分の無力さを受け入れて、アップデートしていくやり方。昨今話題になっているキーワードである「リスキリング」のようなことかな。それはそれでけっこう大変。
 
前者をやるのは簡単かもしれないけど、でもそれってなんかカッコ悪いなって。そもそも自分の経験、知識はたいしたことないことを悟ったし、進化するために転職したので、ここは後者の方を頑張っていくしかないと心に決めた。とはいえ、学校にきてるわけじゃないので、学びながらも一定の価値を提供していかなければならない。自分に出せる価値はなんなのか?それを日々考え、模索する日々が始まった。
 
とりあえず自分にできることはなるべく全部やろうと思い、営業同行やランディングページ作成、ライティングのお手伝い、オフィスの掃除などなど、実務面でのサポートにまずは取り掛かった。ただそんなに価値を出せた気がしない。しかしやるしかない。実務をやりながら、自分が提供できる価値は何かを模索していた。毎日無力感に苛まれていた記憶がある。

そんな中、自分のフレームを押し付けずに相手の状況、本音、悩みなどを素早く理解して、適切と思われる回答をしていくことをしようとしているうちに、「聞く力」がついてきた気がした。単なる傾聴力ではなく、「聞く力」。簡単に整理すると、

・聞く力がある:
 相手の話を理解でき、かつ相手の話を聞いてあげることができる。また、相手が「この人には話していいんだ」「話したい」と感じる

・聞く力がない:
相手の話を理解できたとしても、相手の話を最後までちゃんと聞かない。また、相手が「この人には話したくない」と感じる

こんな感じの整理。僕には特段すごい能力はなく、何かのスペシャリストではない。僕のような凡人が、すごい能力がゴロゴロ存在するスタートアップ界隈で生きていくには、この「聞く力」ってのが僕にとって重要なんじゃないかなって気がした。日々の業務でも鍛えられたし、転職と同時期に始めたBRIDGEでの連載『隠れたキーマンを調べるお』の経験も「聞く力」を醸成するために役立った気がする。
 
 

カサンドラ

一方その頃家庭では大きな問題に直面していた。奥さんがカサンドラ症候群のようになってしまったのだ。結婚して10年。無意識に奥さんを振り回し、不信感を貯めさせてしまっていたようだ。自分はけっこう良い夫だと思っていただけにショックだったし、どうしていいかもわからなくて悩んだ。職場でも家でも悩む日々。しかし元は全て僕の責任であるので、解決にむけて試行錯誤していった。2016年は正直辛い一年だった。しかし2017年明け、ようやく解決の糸口が見え、そこからは徐々にであるが平穏な日も増えていった。
 
そして、この時期にいろいろ悩んで考え、試行錯誤したことがその後の起業家たちとのコミュニケーションにも活かされた気がしている。
 
転職初期に優れた若者と出会ったことによる「自分の価値の模索」、奥さんとの関係改善における試行錯誤、認識の調整。どちらも大変だったけど、そのおかげでかなり進化できたと思う。最初の3年に起きた二つの出来事がその先の僕を大きく変えた。めちゃくちゃ成長した実感がある。
 
 

VC向いてないんじゃないか?

仕事において自分が価値提供できることは何かを考えていた頃、同時に「VC向いてないんじゃないかな?」という思考も常に存在していた。前職では主に経営陣として過ごしていた。経営とは「決定」するのが仕事とも言える。一方でVCに転職後は、投資先起業家とのMTGなどで「こっちの方がいいんじゃない?」と提案することはあるが、決めるのは起業家の仕事である。「決められない」もどかしさが自分の中に溜まっていくように感じた。
 
しかし、客観的立場で物事を見て、相談にのったりすることは向いているように思えた。前職時に「経営企画室とか社長室とか、そういう事業部に属さないポジションにおいた方が価値を発揮できると思うんですよね」と社長によく話していたが、まさに今やってる仕事はそれに近いのではないか?それに気づいてからVCに向いているのかもしれないと逆に感じるようになった。まぁ単純に仕事に慣れてきたってのもあるかもしれないが。
 
そんなこんなで転職から3年は悩み、模索する時間が多かったが、若い優秀な人たちとコミュニケーションとるのは楽しかったし、携わっていた会社がどんどん大きくなったり、MAされたりするのを間近で見ることができたのはとても大きな財産になったなと感じている。あの日あの時あの場所にいなければ見ることができなかった景色。すごく良いタイミングでスタートアップに携わることができたなと思う。
 
 

本厄

家庭の問題もようやく上向いてきた気がした2017年。体調というか気分的に元気になってきて、毎週無闇にすごい歩いていた。散歩ってレベルじゃないくらい歩いていた。国道1号線沿いにある地元駅から「徒歩でどこまで行けるか?」にチャレンジしたりもした(結果、保土ヶ谷で景色に飽きて、電車で大磯まで行き、そこから平塚まで歩いた。合計25kmくらい)。多肉植物や観葉植物を大量に購入して育て始めたり、ダシイレさんとイベントしたり(ダシイレ調べるおナイト)、単独イベント「調べるおmeetup」も開催した。とにかくアクティブに過ごした。
 

(ファンコミュニケーションズさんのオフィスをお借りして開催した「調べるおmeetup」)
 
小部屋が整備されたのもこの頃。居場所ができたことで、毎日小部屋に出勤するようになった。また毎日小部屋にいることで、「小部屋に行けば調べるおさんはいる」というブランディングができあがり、いろんな人が気軽に立ち寄ってくれるようになった。コロナで小部屋文化がいったん途切れてしまったが、来年以降徐々に復活させていきたいものだ。そんなわけで、一見して順調そうな毎日のような感じだったが、この年は「本厄」。これで終わるようなことはなかった。
 
春先から「夜ごはんだけ炭水化物抜きダイエット」というユルい取り組みをはじめていた。今までどんなダイエットもうまくいかなかった僕だが、なぜか今回はガンガン痩せていった。4ヶ月半で14kg痩せた。マジでこのダイエットすげえ!と思ってみんなにドヤっていたのだが、結論「単なる病気」だった。甲状腺の病気であるバセドウ病になってしまっていたのだ。アクティブな気分になっていたのも、病気のせいだったかもしれない。バセドウ病投薬治療が開始され、わりとすぐにホルモン値は落ち着いたが、「死」というものを身近に感じてしまい、なんらかの生きた証を残さなきゃ!という気持ちになって、いくつかのWebメディアからのインタビューにこたえたりした。有名なとこでいうと『CAREER HACK』。
 
 

2018

体調は比較的良くなってきて、通常業務は全く支障のない程度にまで落ち着いた2018年。毎日小部屋に出勤して、たくさんの来客をお迎えしていました。ただ、一番小部屋にやってきていたのは木下さんですが。
 
そんな木下さんの訪問回数を超える勢いでこの頃小部屋にやってきていたのが、同じビル7階のEVシェアオフィスにいたFinT大槻ゆいちゃん。EVでのインターン、留学、スタートアップインターンを経て2017年に起業したものの、共同創業者も去り、事業も全く上手くいかず、キャッシュも底を尽きかけていた。とりあえず毎週定例MTGをやることになり、FinT立て直しの策を一緒に考えた。まぁけど僕がやったことは悩みを聞いたり、お菓子をあげたりしただけなんだけど。その後、秋から現在の主力事業であるSNSマーケ事業を開始したことによってついに上昇ムードになっていき、そこからの大躍進はみなさまもご存知の通りかと思います。

一区切り感

EVとは別に2015年末から前職の非常勤取締役になっていたのだが、2019年3月をもって退任した。ずっと保有していた株も手放した。そのほか、いくつかお手伝いしていた会社との契約も終了。そして秋にはBASEが上場を果たす。EVに転職してすぐに投資先支援の一環としてBASE社の監査役になり、BASEオフィスで過ごす時間も多く、たくさんのメンバーともコミュニケーションとった。個人的に思い入れの深い会社。東証にも初めて行って、打鐘も見ることができた。
 
一つの区切りを感じて、この先の人生について改めて考えてみた。考えた結果、しばらくはこのままVCのお仕事をやっていこう。そう決断した。BASEはパブリックな存在となって羽ばたいていったが、FinTを始め、他にもたくさんの関わっている会社がある。そんな起業家、会社をもう少し近くで見ていたい。そう思った。
 
これまでは太河さんが担当していた会社を引き継ぐような形でやっていたが、「来年からは新規投資もしよう」と決めた。「続ける意思が曖昧なのに新規投資するのはよくない」とずっと思ってきたが、続ける意思を決めたので、新規をやろうと。そう思わせる起業家に出会ったことも大きい。「来年はやってやるぞ!」と決意を新たに2019年は暮れていった。まさか新しい年があんなことになるなんて…。
 

(EV10周年で初めてジャカルタに。刺激的でした)
 

コロナ

2019年に何箇所か地方イベントに参加する機会があり、地方に興味を持った。スタートアップは東京だけのものではない。これから少し地方に行く機会を増やしていきたい。そんなことを2020年の正月に考えていた。
 
そんな折、海の向こうから何やら不穏なニュースがやってきた。新型コロナウイルス。最初は大した話じゃないだろうと思っていた。しかし次第に日本国ないでもその影響が出てきて、渋谷の某IT企業が全面リモートに切り替えるなどもあり、渋谷の街も人が減っていった。トイレットペーパーが世の中から消えたのも思い出される。
 
流行り病とは関係なく、僕の身体にも変調が見られた。動悸、息切れが半端ない。普通に歩くだけでゼエゼエと呼吸が乱れてしまう。「これ、もしかして…」と甲状腺の病院に行ってみたところ、見事に再発。心臓の状態も良くなくて、無理できない身体になったこともあり、コロナ本格化も合間って、自宅からの作業が始まることとなった。
 
コロナの影響で伸びた会社もあったが、苦しい時期をむかえた会社も多かった。みんなそれぞれ頑張って乗り切った。この経験がその後にきっと活きてくると思う。
 
年末には体調も落ち着き、念願の地方遠征も少しずつ始められるようになった。2021年からは結構な頻度で地方に行くようになった。
 
コロナも体調も良くなったり、悪くなったりを繰り返しながら、基本的には良い方向に向かっていると思う。まぁ2023年、再び僕のバセドウ病は再発したのだが…。2024年も引き続き体調の様子をみながら、投資先、全国の起業家、全ての関わる人になんらかの価値を提供できるように頑張っていきたい。
 

(桜島は本当に感動するので、ぜひ行ってみてほしい)
 

時代に適応していく

Withコロナという言葉があったが、その状況に悲観するだけでなく、またそれまでのスタイルに固執することなく、柔軟にその時代に適応していく必要があることをこの数年で僕たちは実感したと思う。
 
10年前、転職してすぐに僕も「柔軟に適応」していく必要を感じた。なんだか同じようなことだなと思う。スタートアップの世界においてこの「柔軟に適応」というのが非常に重要。この世界いいる限り、これからも柔軟に生きていきたい。いや、この世界じゃなくても柔軟性は重要なのかもしれない。
 
10年前に「自分自身の改革」の必要性を感じ、新たな世界に飛び込んだわけだが、それなりに「改革」できた気はしている。成長を実感している。転職したことは僕の人生にとって大成功だったなと言える。ただ100%満足してるかというとそうではない。もっとやれた、もっと成長できたとは思う。まぁその辺の課題はこの先の人生でやっていければいいのかもしれない。多少の不満足感があった方が人は進化できる。
 
 
 

2023/12/29 

この10年

47


 
41歳の本厄の年(2017年)、4ヶ月半で14キロ痩せて「ダイエット大成功じゃん!」と喜んでいたら単なる病気(バセドウ病)だったという話はけっこういろんな人に言ってるので知ってる人も多いと思う。投薬治療で数値は落ち着いた2018年。治ったぞ!と調子に乗って年2回もフルマラソンを走った(どちらも完走)のが2019年。「あれ、なんかめちゃくちゃ息切れするんだけど…」と身体の異変を感じて病院に行ったら再発が判明した2020年。再び治療が再開して、なんとなく治ったっぽい(数値が落ち着いた)のが去年の誕生日前くらい。
 
そして2023年。私は再び表参道の伊藤病院に通っている。そうです、またもや再発です。
 
症状は前回と同じく動悸。少し速く歩いたり、階段を登ったりするとゼエゼエしちゃう。また、薬を飲むのが朝なので(効き目が切れてくる?)夜になると動悸してきて、眠りにくい。まぁそんなこんなで再発を身体いっぱいで感じているんですが、手術とかは今のとこ無さそうなので、それは良かったというか安心した。薬と通院をサボらず、今度こそ治すぞという意気込みでやっていきたいと思います。
 
 
さて話は急激に変わりますが、普段YouTubeをめちゃくちゃ見てるんですけど、最近コムドットをよく見てます。いろいろ炎上もあったりして、敬遠してたんですが、なんかのきっかけで見始めてから、笑ったり泣いたりしながら100本近く見てる気がしてる。
 
コムドットの何が良いかというと、2つあって、1つ目は目標に向かって全力で頑張っているとこ。特に登録者数300万人までの取り組みは本当にすごくて、「仲間と本気で何かを目指す」という尊さをとても感じた。2つ目はその「仲間」。学生時代の友達の貴重性というのは大人になるとヒシヒシと感じると思うけど、本当に大事だよな。彼らは小中学校の同級生グループなわけだけど、そんな絶対的な仲間と一緒に何かに取り組めるって最高だなぁって。昔の友達に連絡したくなった。コムドットには「大人になってしまって忘れてしまったこと」を思い出させてくれたような気がした。
 
そんなわけでコムドットの動画を見ながら日付が変わり4月23日になった。47歳になった。関係のある人たち(仲間)と一緒にそれぞれの目的に向かって一緒に頑張っていきたいし、そんな仲間や学生時代の仲間とこれからも仲良くしていきたい。改めてそう思った47歳誕生日。引き続きよろしくお願いします。
 
 

2023/04/23 

47

2021-2022

すでに1月5日だが、簡単に昨年の振り返りをしつつ、今年、2022年の抱負も考えてみようかと思う。
 
 
 

2020年以降型生活様式をアップデート

2021年も2020年に引き続きコロナの影響を受けた一年だった。そしてこれは2022年も続いてしまうだろう。もうそういう世の中だ。これを前提に生きていかないといけない。「コロナのせい」を続けてたらいつまでも自分の人生を歩けない。
 
不自由な面も多いが、良い面もある。半自動的にオフィスに出勤するという行動様式からの脱却。2019年までは何も考えずに出社していた。思えばEVに入る際にタイガさんから「出社しなくてもいいです!」って言われたが、翌日から毎日オフィスに出社した。半自動的にそうしたし、出社しないで仕事をする方法を知らなかった。
 
2020年は「そのうち普通の生活に戻るだろう」と心のどこかで思っていた。しかし2021年になっても全然減らない感染者数。次々に現れる新しい株。「新株発行しすぎだろ」と職業的に思ったりもしたけど、一方でこの生活に完全に慣れつつある自分にも気づき始めていた。もう毎朝通勤電車乗るのは無理かも。
 
そんなわけで、2020年以降の生活様式をより一層充実したものにするため(理由はそれだけではないけど)引越しをした。10年くらい迷ってたが、ついに購入した。5月くらいから物件探しを始めて、8月末に契約。現物引き渡しのため、そこからリフォームを開始し、想定よりも時間がかかってしまったが11月末に引っ越すことができた。築40年のUR物件。URであるが、団地型ではなく戸建型(テラスハウス)。現物引き渡してそれなりに傷んでるとこもあったけど、全てリフォームするのではなく、使えるとこはそのまま残した。せっかくの中古物件なので、全部リフォームしちゃうのはもったいない。
 
前の家は1LDKを1が僕の部屋、LDが奥さんの部屋という使い方をしていた。この変則的な使い方によってリモートワークはある程度機能していたが、夜遅くのMTGは難しい(気がひける)などいくつかの問題もあった。新居は無駄に広いので、そういった問題も解決されたし、お互いのプライバシーは完全に保たれるようになった。物理的(距離的)にコミュニケーションが減ってしまうので、その辺は今後改善していきたい。新居でも引き続き変則的な使い方をしていて、1階(旧リビング、旧和室)が僕のエリアで、2階(3部屋)が奥さんのエリアになっている。
 

(旧リビングの僕のメイン部屋の一部。窓側はそれなりに埋まってきたが、写真には写っていない入り口側はスカスカなのでなんとかしたい。床のフローリングは元のをそのまま残した。)
 
とにかく家が寒いのですが「こういうもんだ」と慣れていくのが重要な気がします。もちろん対策できるとこはやるけど、抗ってもしょうがないことはある。コロナも寒さも。とりあえずこれまで以上に家に手がかかるので頑張ってやっていきたい。
 
 
 

全国行脚が加速した2021


 
2019年末くらいから、東京以外の街を見てみたい、と考えていた。東京以外のスタートアップシーンを見てみたいし、地方の学生、起業家と交流したかったし、正しい情報を伝えたかった。そんな風に考えていて、口にも出したりしてたら、ありがたいことに地方のイベント等にちょくちょく誘われるようになった。せっかく呼んでくれたので少しでも有意義な情報を得てもらおうと全力を尽くした。
 
東京以外に住んでいる起業家も当然ながらポテンシャル高い人はいる。東京スタートアップシーンではまだ知られていない原石を探しに、2022年も各地を巡りたい。毎回1人や2人くらい「これは!」という人に会えるのがすごく楽しい。2021年は福岡で2社、鹿児島(で開催されたピッチイベント参加の起業家)1社に出資した。今年はもっとやっていきたい。


 
ところで、とある街で開催されたアクセラにメンターとして参加した際、そこにいた起業家(?)からこんなことを言われた。「大柴さん、なんでこんなとこまで来たんですか?趣味ですか?こちらとしてはめちゃくちゃありがたいんだけど、効率とか費用対効果とか考えたら来る意味あるのかな?と思ったんです」と。まぁ確かにそうといえばそうなんだけど、世の中全てのことを効率性で考えてしまうのは良くないと思うんですよね。遠回りだったり、無意味に見えるようなことから何かが生まれる可能性もある。そう思うんですよ。そんな人が界隈に一人くらいいてもいいんじゃないかなと。
 
ちなみに2021年は各地のイベント、投資先の合宿等で福岡、鹿児島、浜松、静岡、つくば、京都、長浜、伊豆高原、伊東、箱根、甲府に行った。数えてみたら27泊してた。今年もそれくらいしたい。
 
 
 

読書を模索し続けている


Booklogの本棚。読んだ本の感想はnoteに書いてる。)
 
2020年の60冊と比べると2021年は49冊と読書数が減った。まぁ数は特に問題ではないのだが、年60冊くらいは読みたいものだ。2021年は意図的にビジネス系を減らして社会問題系を増やした。コロナやSNSによって様々な社会問題が改めて浮き彫りになった感もある。そんなこともあり、知識や興味の幅を増やしていかないといけないなと思って、これまであまり読んでいなかったジャンルを読んでみた。
 
課題としては、読書スピードではなく、読んだ内容をどれだけ覚えていられるか。そこに尽きる。インプットしたいから読書をしてるわけで、やっぱりもう少し内容を覚えていきたい。変に数を追うのではなく、何をどう読んで、どう活かしていくのか。そんなことを考えながら今年も本を読んでいこうと思う。
 
 
 

やはり健康が大事

年末からまたメルカゾール飲んでるけど、問題は甲状腺よりも肝臓。お酒飲めないのに肝臓がずっと悪い。肝臓が悪いからお酒飲めないのかもしれない。太りすぎて肝臓に負荷がかかってるかもしれない。ということで(毎年言ってるけど)今年は痩せる。一昨年のバセドウ再発時に心臓が弱ってしまったのでもうマラソンは難しいとは思うけど、ゆっくりとしたランニングくらいならば大丈夫じゃないかなと思うので、多摩丘陵をぼちぼちと走っていこうかな。あとは伊藤くんのジムで投げ込むか。
 
 
 

2022/01/05 

2021-2022

「ズボラ旅」ならばズボラな僕でも簡単に旅をすることができる

ズボラ旅」と聞いて何を想像するだろうか?
 
事前の計画もせず、移動手段の予約もせず、ホテルの選別も予約も当然しない。そんな「ズボラ」な状況で旅に出る。そんな無謀な旅もたまには良いだろう。さすがにそこまでズボラではないが、僕がたまに行く一人旅もかなりズボラなものだ。ズボラ旅だ。去年行った湘南旅行は、金曜日の夜に翌日のホテルの予約をした。用意なんて何もしていない。切符も買っていない。近場ならばそれでも何とかなるものだ。
 
そもそも旅行というのはやることが多すぎる。「そういう計画をたてたり、用意をしたりするのが楽しいんだよ」と言う人もいるだろう。旅行好きの方々はきっと多くが「そういうのも込みで旅行なんだよ」と言うはずだ。でも中にはそうじゃない人もいる。全てを決めてもらいたい。そういう人もいるはずだ。
 
そんなズボラな旅好きに最適なサービスがリリースされた。それが「ズボラ旅 by こころから」である。
 

 
各メディアでも数多くこのリリースを取り上げていた。
ペロリ創業メンバー有川氏が次に手がけるのは、チャット型の旅行代理店(TechCrunch)
元ペロリの有川氏率いるHotspringがチャットの旅行相談窓口「ズボラ旅 by こころから」をローンチ、行き先が必須でない旅行プラン提供(THE BRIDGE)
 
Twitterの「話題のワード」にも出現するほどのバズりぶりで、あまりのアクセスにTHE BRIDGEのサーバーをダウンさせ、さらにはサービス問合せが殺到してさばききれなくなったHotspring社が「パンクのお知らせ」を出すなど、熱狂と混乱に包まれたネット界隈であった。
 
とにかく、友人でもあり、たまに一緒に旅行にも行く仲であるアリコー氏の願ってやまない。「ズボラ旅」に関しては、この狂乱が落ち着いたあとに一度利用してみたいと思っている。
 
がんばれHotspring、がんばれ「ズボラ旅 by こころから
 
 
 
 
と、言うわけで、ズボラ旅の紹介をしてきましたが、「ズボラ旅」というネーミングが良いですよね。キャッチー。コピーライティング力ってみんなが思ってるよりも重要だと思うんですよね。最近ではSkyland Venturesの「フライングで投資」ってのが良いなと思ってます。そういえばSkylandはズボラ旅がバズった日の夜に「ズボラ起業」っていう便乗してましたね。その辺のフットワークの軽さもさすがです。
 
しかしながら、やはりズボラ○○というブームを巻き起こしたアリコー氏のコピーライティング能力も見逃せないですね。マルチな才能を持つアリコー氏なので、何をやっても上手くいきそうな予感するんですが、個人的に彼の能力で注目してるのは「文才」なんですよね。作家になってもそれなりの成果を出しそう。作家よりも詩人の方が向いてるかもしれませんが。
 
 

2018/05/22 

「ズボラ旅」ならばズボラな僕でも簡単に旅をすることができる

「詰んだ」と思っても足下は安定してる場合はなかなか行動しない。例えば27歳の僕とか。


 
ぺんぎんさんもけんすうさんも「一発逆転はない」と仰ってます。まぁ二人が同一人物の可能性があるのですが、僕も同じく「一発逆転はない」と思ってます。そんでけんすうさんのブログを読んで、質問者の境遇に僕も近かったので、僕のことを少し書いてみようかと思います。
 
ちなみに、けんすうさんのエントリはこちら。
あなたの人生はまだ詰んでいない可能性が高いし、一発逆転とかないですよ、、と。(けんすう)
 
 
さて、僕が27歳の時に何をしてたかというと、手取り15万円くらいでデータ入力のアルバイトをしてたんですよ。27歳で15万円ってわりとやばい気がするんです。僕も当時「やばいな、詰んだな」って思ってました。大学を辞めた後の流れをざっと書くとこんな感じ。
 
21歳:大学を辞めて、月5万円くらいバイトする
24歳:友達の紹介で月11万円くらいのバイトする
26歳:上記「月11万円」のバイトを辞め、就活するも失敗
26歳:直近のお金も無くなったので、引越し屋バイトをして当座をしのぐ
27歳:24歳の頃に一時期やっていたデータ入力のバイトに復帰。フルタイムになったので月15万円くらいに。
 
やばいじゃないですか。でもよく見てください。地味に収入は増えているんです。ちなみに実家暮らしだったため、お金はかからない(月に3万くらいは入れてましたが)。15万円もらうと生活はかなり潤うんですよ。平均よりもかなり低い水準ながら生活は安定し、何ならちょっと生活良くなってる。
 
将来を眺めると「詰んだ」って感じるんですが、見ないようにして、足下を見ると「安定」してるし、前と比べると「良い」んですね。そういう感じで時間は流れていってしまうんです。
 
何が言いたいかというと、「詰んだ」とすごく思ってたとしても、意外と足下だけ見ると詰んでなくて、将来の危機感を一瞬で忘れて、将来を変えるための「行動」をしない人が多い、ってこと。僕は完全にそれでした。
 
 
27歳も半分以上過ぎた頃、当時やっていた業務が東京オフィス管轄から大阪オフィス管轄に変わることが決まりました。東京オフィスのスタッフであった僕は人生の選択に迫られていました。東京オフィスで他の業務をやるか、それとも大阪に行くか。バイトなんで大阪異動なんてあり得ないんですけどね。
 
27歳冬、寒空の下で「これから僕はどうなるんだろう」と白い息とため息を吐いていました。この段階でも「どうなるんだろう」という他人任せなマインドってのがまたヤバいですよね…。
 
実際に何もせずに大阪のスタッフに引継ぎ業務をしてるだけの毎日だったのですが、旧知の友人から「一緒に会社をやろう」と誘われて、悩んだあげくに一緒にやることになったのがサムライファクトリーで、そこで初めて「正社員」の称号を手に入れたわけです。27歳と10ヶ月。そしてその3ヶ月後には取締役に。そんなミラクルはそうは無いと思います。本当に自分は運が良かったなと…。
 
 
奇跡ではあると思いますが、ずっとHTMLは書いてましたし、それがもとで誘われたわけなので、ギャンブル的な「一発逆転」ではないと思ってます。運が良かったとはとても思ってるけど、偶然にも僕は「手に職」を持っていたのです。

今、この瞬間からできる、なんらかの行動をしてみるといいかもしれません。「転職サイトを開く」でも「プログラミングの学習サイトを開いて会員登録してみる」とかでいいので、、

https://note.mu/kensuu/n/n1f58efb7cceb

「詰んだ」と思ってる人の多くは「行動してない」人なので、まずは一歩を踏み出してプログラミングを勉強したりするのが良いんじゃないかと思います。「手に職」つける行動を。例えばProgateとかで。
 
 
 
photo credit: maekke Light at the end of … via photopin (license)
 

2018/01/17 

「詰んだ」と思っても足下は安定してる場合はなかなか行動しない。例えば27歳の僕とか。