地方のスタートアップイベントに何度か参加したのでメモっとく


 
「地方でスタートアップが盛り上がる条件とは?」みたいなタイトルにしたかったけど、キャラじゃないのでやめました。
 
先日、鹿児島のピッチイベントにお呼ばれして行ってきました。去年12月に初鹿児島だったんですが、それから3ヶ月しか経ってないけど呼んでいただけてありがたい限り。直前でトラブルあって少しバタバタしたけど、総じて良いイベントだったような気がする。また、鹿児島の前後に福岡にも立ち寄り、現地のスタートアップ施設であるfgnで何人かの起業家等とお話できたので有意義だった。
 
今年に入って福岡2回、鹿児島1回、去年は福岡1回、鹿児島1回、浜松1回、一昨年は浜松1回、福岡1回、その前にも名古屋、福岡などスタートアップ関連イベントでお邪魔させていただいた。本当はもっと積極的に各地にでかけたいのだが、コロナの状況ではなかなか難しい。それでも何度か地方のイベントに参加する機会を得て、地方の可能性を感じたわけだが、ちょっと僕の地方スタートアップに対する考えを書いておこうかなと思った。
 
(文中に「地方」という単語を使っているが、本来は使いたくないなと思ってる。自分のいるところが「中央」でその他が「地方」なので。ただ便宜上「地方」という言葉を用いて書いているので、ご了承のほど)
 
 
 

「起業」という選択肢が加わればいい

ピッチイベントやStartup Weekend(SW)に参加しているからと言って、闇雲に「起業」をする人を増やしたいわけではない。これは東京だろうが地方だろうが関係なく、そう思っている。「起業はリスク」とはあまり考えてないが、人には向き不向きがある。また、やりたい事を実現する手段として「起業」が適していない場合もある(大きな会社の一員だからできることは多い)。とは言え、進路の選択肢の中に「起業」というものが入るのは素晴らしい事だなと思っている。
 
東京では木下さんの啓蒙活動などもあって「起業」という選択肢の認知は広がったのではないかと思うが、地方ではまだそこまで「起業」の認知は低い気がする。認知を広げて「(起業という)生き方もあるんだな」と、まずは興味を持ってもらえたらいい。それくらいに考えているし、別に起業しなくてもいい。
 
SWに何回か審査員、コーチをさせてもらってるが、そこの参加者から新卒で道元坂のベンチャーに入った人や地元の大手企業から東京のスタートアップに転職した人もいる。SWやピッチイベントなどを開催することによって、スタートアップの存在を知り、新卒で入ったり、転職したりする人が増えればまずはOKかなと思う。
 
 

「ムラ」だから良いことはある

「ムラ」と揶揄されることもある東京スタートアップシーンではあるが、僕は「ムラ」が悪いことだとは思っていない。その一番の理由は、密なネットワークにより、悪いことがしにくいという点だ。例えば、悪どい条件で出資したような投資家の情報はすぐに知れ渡る。そうなるとその投資家は「ムラ」の中では活動できなくなる。「ムラ」という小さな、濃密なコミュニティだからこその相互監視的なシステムが自然と出来上がってるのは、起業家にとっては良いことかなと思う。
 
投資家としてはなるべく良い条件で出資したいものではあるが、ただそこにはフェアバリューのようなものがある。起業家の戦いに長期に渡ってご一緒するには、短期的な損得ではダメで、フェアにいかないといけないと思う。「ムラ」が形成されていき、昔よりもだいぶフェアな舞台になってきたように思う。一方で地方には「スタートアップムラ」が無いので、アンフェアな取引が散見される。
 
SWでとある地方に行ったとき、地元で会社を経営しているおじさんが参加していた(ちなみに、SWは初めて会う参加者同士がチームを作り、サービスを考え、最終日に発表するというイベント)。そのおじさんはサービスの相談はそこそこに「エンジェル投資って儲かるんですか?やってみたいんですよ」と質問してきた。たぶんそういうおじさんが各地にいる。東京にもいると思うが、「ムラ」の中には侵入しにくい構造になってる。地方にいるそういうおじさん(おばさんもいるかもしれない)を僕は正していきたいという気持ちが強い。
 
 

東京と地方の「情報格差」とは何か?

「地方だから」「コミュニティ(ムラ)にいないから」情報が無いと言う人は多いが、はたしてそうなのだろうか?といつも疑問に思う。サービスの流行や海外事例などは検索すればすぐに出てくる。そこに東京も地方も格差はない。では、前述のような事を言う人の共通点は何かというと、自分で積極的に情報を取りにいってない点である。「ムラ」の真ん中にいても、何もしなければ情報は入ってこないし、地方にいても貪欲に情報を取りにいってる人は何事も詳しい。みんなもっと情報を取りにいく努力をした方がいい。
 
人的ネットワークにおいて入ってくる情報に関しても、これも実は東京、地方で差はそんなに無いのかもなと思う。ゼロとは言わないが、コロナの状況になって物理出社も減ったし、オフラインイベントも減った。有名な起業家やVCの人とのオフラインでの接触機会地方格差は小さくなったと言える。
 
また、地方でのオフラインイベントに登壇などするには時間とコストがかかる。しかし、ほとんどのイベントがオンライン化され、「オンラインならば登壇できます」という有識者もいると思うので、実はチャンスかもしれない。オフラインならば会えないような大物の話を聞く事ができるかもしれない。実際に「オンラインならば」と有名起業家のセッションがfgnで実現されたらしい。
 
オフラインのメリットは確かにある。しかし、名刺交換などしなくても、SNSで繋がることはできる(名刺交換してもほとんど忘れてしまうものだ)し、メッセージや資料などをそえると、単なる名刺交換よりも相手に覚えてもらえるかもしれない。
 
そういうわけで、情報格差ってのは能動的アクションと柔軟な発想である程度埋められるのかなと思う。やっぱり地方における一番の「情報格差」は前述のような「おじさん情報」が少ないようなことなのかなと思っている。甘い話を聞いてもいったん地元のVCや僕たちのような人に相談することをオススメする。
 
 

(先日福岡のfgnで開催されたイベントに登壇中のてるま氏
 

地方の可能性に目を向ける

事業によっては東京よりも地方の方がニーズがあるものも多い(山梨でやってる某氏に今月会いに行く予定だ)。また仮説検証のしやすさという点で地方が適している場合もある。昨年投資させてもらった某社は、仮説検証においては東京じゃない方が良いのでは?ということで浜松でまずはやってみることを決断し、現在も当地で強力なパートナー企業とともに仮説検証を回している。地元の強力な企業とワンチャン提携できちゃうのも地方の良いとこかもしれない。

東京に拠点を置く私たちは、良くも悪くも「都心の事情のインサイダー」です。そこに入りすぎないからこそ見える課題とその解決方法、プロダクトセンスというのを期待しています。
【TLM 木暮】共感やアテンションが重要になる2021年のコンシューマサービス(DIAMOND SIGNAL)

てるまがSIGNALで語ってたこの箇所。これは僕もまさにそう感じるところ。地方に行くと毎回新たな視点をもらえる。現地の起業家もそこにいるからこそ見える課題の解決に取り組んでいて、僕たちからすればとても新鮮だ。東京ではないから戦える事業、領域ってあると思うし、じゃあその傾向があるのかな?と先日調べた。


調べてみると、大学発ベンチャーが多い。てるまが言うように「C向け」の可能性も高いと思うが、現状はまだ少ない。
 
 

地方でスタートアップが盛り上がるには?

地方でスタートアップが盛り上がるには、いくつかの条件があるのではないかと思っている。現状考えてる条件は以下の4つ。この4つが全てそろっていると盛り上がる。

「行政のやる気」「都市の規模」「若者の数」「ロールモデル」
 
例えば福岡がその良い例だ。最近よく行く福岡にはfgnという施設がある。
 

 
ここは行政と地元の企業(福岡地所)、ベンチャー(GMOペパボ、さくらインターネット)が運営委員会として運営してる施設。運営委員会(事務局)の官民連携、地元企業とベンチャーの連携のバランスが良いなと思ってる。高島市長のやる気が市の職員にも伝わっているのがわかる。地方でスタートアップが盛り上がるには、行政の理解度と柔軟性、参加度が思っている以上に重要なのかもなと最近思うようになった。行政が民間に委託するだけという図式ではなかなかうまくいかなそうな感覚を持った。行政の大いなるミッション(と市長などの強力なリーダーシップ)の元に地元企業、ベンチャーなどが協力し合って運営がなされるのが一つの解答なのかな。
 
浜松市も二度ほどSWで訪れたが、二度とも鈴木市長が審査員として参加していた。「俺はスタートアップイベントだけは全て参加するようにしてる」と市長もおっしゃってたくらいやる気がある。ちなみに鈴木市長はかつて東京で広告代理店を起業して長きに渡って経営してたそうで、SW審査員としての質問も鋭いものだった。また電動キックボードのLUUPの実証実験なども浜松で行われたが、これは市長のスタートアップに対する理解度の高さを物語るエピソードと言える。

行政のやる気:福岡も浜松も市長がやる気
都市の規模:福岡市は約154万人、浜松市も約80万人の人口を抱える
若者の数:福岡市は九州大学、浜松市は静岡大学などともに複数の大学が存在する

「ロールモデル」に関しては福岡ではペパボ創業者で現在はCAMPFIRE代表をつめる家入さんが挙げられる。ペパボの支社も福岡にあり、ペパボ中心に盛り上がったような印象はある。最近ではnulabの存在が大きい。浜松はYAMAHA、SUZUKIなどの大企業を生み出した街であり、元来起業家文化が存在する。浜松発のスタートアップ的ロールモデルはいないが、浜松出身の起業家は多い。彼らが今後浜松のスタートアップシーンを盛り上げていく可能性はある。
 
最後に鹿児島。トップの画像は甲突川から桜島をのぞむ風景。市電が走り、独特の雰囲気を持つ街。老舗デパート山形屋の建物はほんとすごくて圧倒される。そんな鹿児島にはmark MEIZANというスタートアップ施設がある。ここも福岡fgnと同じように官民が連携して運営している。SIGNALでも先日記事が上がっていた。

コロナ禍においてオンラインへの移行が加速した社会ではあるが、やはりこういった拠点は大事だ。鹿児島もポテンシャルはあると思う。なんといっても維新を成し遂げた街なんだから。
 
「行政のやる気」「都市の規模」「若者の数」「ロールモデル」。この4項目がそろえば、街全体として盛り上がっていくだろうし、その上で僕らも何らかの刺激を与えることができたらいいなと思う。要は「また呼んで欲しい」ということです。(完)
 
 

2021/04/07 

地方のスタートアップイベントに何度か参加したのでメモっとく

30年前の渋谷、代官山の様子を撮影した長編動画があったので軽く紹介記事を書いてみた


 
この撮影者さんの動画は以前から定期的に見ており、二度ほどFacebookに投稿した。というのも1991年の僕の地元の様子を撮影した動画あったので、主に地元の友人向けにシェアした。で、今日も撮影者さんの動画を眺めていたのだが、1991年の渋谷、代官山の長編動画があるのを見つけて。見てみるとめちゃくちゃ貴重で面白かったので、ざっと紹介記事を書いてみた。
 
新大宗、道玄坂に生息してる人には特に面白いかもしれん。では早速紹介していきます。
 
 

 
JR渋谷駅ハチ公改札。当時はまだ自動改札ではなく、駅員さんに切符を渡すスタイルです。今考えると、あの人数の乗降客の切符を目視でチェックするなんてありえないですね。
 
改札出たあたりの風景は今と大きく変わらないような気もします。109はありますが、Q-FRONTは当然ありません。今も昔も人がたくさん行き交うスクランブル交差点を渡って道玄坂方面に向かいます。
 

 
現在も営業中の天下寿司ののぼりを見ながら坂を登っていきます。
 

 
現在のロッテリアのとこから井の頭線の駅の方を見た図。構図自体は今と変わってないけど、両サイドのお店はほとんど入れ替わってるんだろうな。そして現在は正面線路の向こうにセルリアンタワー、右手の奥にマークシティが見えますが、当時はまだありません。そんな感じでさらに道玄坂を登ります。
 

 
出たー、出ました。新大宗3号館の脇の道です。雑然さは今と同じですが、むしろ30年前の方がきれいな感じします。奥の方を見ると抜けられそうな雰囲気もあります。今は線路とマークシティによって塞がれてしまってますが、もしかしたら向こう側に抜けられたのかもしれませんね。
 

 
新大宗の駐車場。現在喫煙所になってるバルコニー的な部分はなかったんですね。
 

 
で、これはどこかというと、新大宗の駐車場と道玄坂の間にあった民家なんです。道玄坂添い建ってました。わかりにくいので、現在のストリートビューを貼ってみます。
 

 
「広告募集」という看板のあるビルが新大宗1、2号館。その手前の「20分400円」と書かれた駐車場の看板のあたりにこの民家はありました。
 

 
道玄坂側から見るとこんな感じ。とても趣のある昭和レトロな建物です。僕が渋谷に行くようになったのはこの動画が撮られた時の数年後ですが、その頃にも民家自体はまだありました。ただお店は開いてなくて、シャッターが閉まっていたような記憶があります。
 
ここまで動画は約6分。57分の動画なので、このペースでいくととんでもなく長くなるので、ペースをあげていきます。このあと、百軒店を通り、円山町のホテル街を抜けて文化村方面に行きます。そして再び駅方面に向かい、センター街に突入していきます。センター街もいつの時代も混んでますね。そしてPARCOを抜けて公園通りに。ここまで約12分。
 

 
こんな感じで路上で謎のアクセサリーを売ってる外国人いたなー。ピースマークのネックレスやラピスラズリのペンダントとか笑 ミサンガ売ってる人もいたかもな。最近見ないな。
 

 
公園通りを進み、NHKの方にやってきました。なんかNHK周辺すごい工事してるんだけど、何建ててるのかな。SHIBUYA-AXじゃないし、なんだろ。ケヤキ並木に露天がたくさん出てた。今って露天出てないよな。ケヤキ並木の奥にある野外ステージあたりで開催されてたイベントを眺めつつ、宇田川町方面に戻っていきます。
 

 
2007年に閉店したCISCO(翌年倒産)などの在りし日の姿が…。2013年に閉店したチチカカ1号店の様子もあって懐かしい気持ちに。渋谷が隅々まで元気があったなぁと実感した。
 
東急ハンズ抜けてペンギン通りあたりの店を眺めたり(現在のAPEやColumbiaあたり)、おそらくスペイン坂あたりだと思われるエリアを歩いたりしながら、センター街を通って渋谷駅に。
 

 
現在は渋谷ソラスタとなっている隣あたりにある横浜銀行(今もある)の前で巨大携帯電話で話す女性の姿が。電話ボックスの隣で携帯で話すという超絶マウンティング。それにしても携帯電話めちゃくちゃデカイし、お姉さんキレイだな。
 

 
駅前の歩道橋(いまとあまり変わらない)を渡って246に出ました。現在セルリアンタワーがあるあたりから駅方面を見た図。駅の向こうに東急文化会館(現在はヒカリエ)の上にあったプラネタリウム屋根が見えます。その向こうには渋谷クロスタワー(当時の名称は東邦生命ビル)がそびえ立つ。東邦生命ビルは渋谷で初めて建った100m超のビル。セルリアンの場所には東急電鉄本社ビルがありました。
 
現在のセルリアン横の小道を抜けて(ちなみにインフォスタワーも大和田文化会館も当然ありません)桜ヶ丘郵便局あたり経由で代官山方面に。第一商業を横目に進むと今はなき伝説の「NTT猿楽町社宅」が。
 

 

 
猿楽町社宅は2009年に取り壊しが始まり、姿を消すこととなったが、その1万平方メートルを超す広大な跡地は、蔦屋書店(T-SITE)とウェリス代官山猿楽町に生まれ変わった。動画を見るとそこに「暮らし」があったんだなぁと実感する。
 

 
代官山の名店「HIGH! STANDARD」の今と変わらぬ姿を確認し、代官山を散策し、最後は鎗ヶ崎のキングホームズ代官山駐車場からの眺めで終わり。
 
 
 
30年前の渋谷、代官山の様子を確認することができる貴重な動画。撮影者の方には感謝したい。
 
 
1991 渋谷 土曜日の一日中散策散歩 代官山まで Shibuya Saturday Walkabout 910511(YouTube)
 
 

2021/02/14 

30年前の渋谷、代官山の様子を撮影した長編動画があったので軽く紹介記事を書いてみた

おじさんにオススメしたいYouTubeチャンネル

最近、仕事してる以外の時間の8割くらいはYouTube見てるんですけど、よく見てるチャンネルを唐突ですが紹介しようかと。「YouTubeとか見ないよ」という中年おじさんにオススメしたい。

 

丸山ゴンザレスの裏社会ジャーニー

https://www.youtube.com/channel/UCaxKWSwF_egyenDrW4h4y2A
アングラな話題をゲストを呼んで解説したりするチャンネル。クレイジージャーニー的動画が特に良い。


【撮影NGエリア!?】日本一のストリップ浅草ロック座に潜入して舞台に立ってみた
 

【命の危機!?】最も危険な場所で○○を持った現地民に襲われた話

 

おじとらチャンネル

https://www.youtube.com/channel/UC9x9tF22N8ghdZJdlb2H3hg
トラック運転手が各地のガッツリ飯を食べる動画。ドライブレコーダーの映像見てると旅してる気持ちになって良い。


【長距離トラック運転手】市場の横の小さなお店で帰り飯。熱々の盛りでご飯がすすむ君。
 

【長距離トラック運転手】大分へ行く!令和2年初さんふらわあは別府から。その前にひとっ風呂。

 

おかむら村長の昭和野球塾

https://www.youtube.com/channel/UCdLA7PyhrL48XvlGQQuRBbg
80年代〜00年代くらいの野球に関しての動画。「懐かしい」という選手ばかりで古くからの野球ファンは楽しめると思う。


【江川卓 村田兆治 小松辰雄】1981年日米野球でロイヤルズと対戦!昭和の速球トリオそのストレートはメジャーリーガーを抑えられるのか?

 

今日ヤバイ奴に会った

https://www.youtube.com/channel/UCQ3Kgx1G1NkELoJ8tJ3uelg
インドの飲食店のアグレッシブな料理風景を静かに撮影した動画。めちゃくちゃアバウトで雑なんだけど妙に美味しそう。たぶん食べたらお腹痛くなると思うけど…笑


インドの30人前チャーハンの作り方 / Fire Fried Rice

 

VAIENCE バイエンス

https://www.youtube.com/channel/UCPKsFwt9ACF-EnJM3xN8wyQ
「○○星に落ちたらどうなるのか?」などのサイエンス系チャンネル。宇宙の話はとても興味あるけど、スケールが大きすぎて何を言ってるか理解できない。でもなんか見てしまう。そしてバイエンススーツがすごすぎる。


【残酷】土星に落ちた者の末路……
 
 
 
この他にもローランドのチャンネルや元プロ野球選手のチャンネルなんかをよく見てます。あとゲーム動画も。
 
 

2021/01/17 

おじさんにオススメしたいYouTubeチャンネル

2020年振り返り〜「普通」は尊い〜

「忘れられない一年」として将来語られることになりそうな2020年ももうすぐ終わる。2020年の抱負を書いた時(1月7日)には想像もつかなかったような一年だったわけだが、年初に書いた抱負のチェックをしながら今年一年を振り返ってみようと思う。「読む、書く、話す、動く、生きる」という5つの項目でそれぞれ抱負(目標)を書いたのだが、まずは「読む」から。
 
 

読む


目標は年60冊。現在59.8冊くらい。今日の帰りの電車で60冊になると思うので一応達成ということで。

家で読書をする習慣が無く、電車通勤の間にしか本を読まない。緊急事態宣言が出される前の3月下旬から基本的リモートワークになったのだが、その影響で4月は読書量がガクンと落ちた。家でどういう時間にどうやって本を読んでいいかわからなくて。しかしリモートワークのリズムをつかんできた5月からは再び読めるようになった。順応。GWに本棚を買ったのも良かった。

今年読んだ本で一番良かったのは難しい質問だが、しいて言うならばBOOKOFFで買った『孫正義 起業の若き獅子』かもしれない。この本が面白かったので読書量が再び増えた気がする。そのほか読んだ本は良いとこも悪いとこもあるので、読書noteを見てもらいたい
 
 

書く

次に「書く」ですが、「調べるおはボチボチやります」「noteはもうちょっと反応あるような記事を書きたい」「UPSTORY、隠れたキーマンを復活するよ」というような抱負でした。

まずは『調べるお』ですが、2019年は9記事、そして2020年は10記事でした。11月に「今年残り5本書く」とツイートしたものの、2本だけしか書けず。まぁ2021年ものんびりと続けていきたいなとは思っています。noteは2019年に比べるとビューは増えたがスキは同等という結果。『街歩きnote』の更新ができなくてつまんなかったです。ちなみに一番ビューがあった記事は音楽noteの『才能が解放された1998年の音楽界』でした。ビューは多いがスキは少ない。もっと頑張ります…。

隠れたキーマン』は復活するにはしたのですが、コロナ禍の中で取材がままならず本数は全然でした。もっとたくさん取材したかったんだけど。でも今仕掛かってる記事もあるし、年明け取材予定もあるので、これは引き続き更新されていくと思います。一方で『UPSTORY』ですが、インタビューメディアにしようと思っていたのですが、隠れたキーマン同様、取材ができず…。春に速報系のテストをしてみたりしましたが、なかなか難しく。本格再始動は2021年に持ち越しです。
 
 

話す

リモートワークになってしまって人とカジュアルに話す機会は減ってしまった。「小部屋」にいれば誰かがふらっとやってきて話すことができたが、オンライン小部屋は難しい。


2021年も引き続き不安定な世の中だと思うし、リモート主体の生活も続くとは思うので、オンライン小部屋をどのように運営していけばワークするのかを模索していきたい。

あと「モデレーターやっていきたい」とも書いていたが、こちらはイベントがいくつか中止、延期になってしまったので、やる機会が無かった。しかしオンラインイベントこそ、モデレーターが重要な気もするのでこちらも模索していきたい。
 
 

動く

これは今年一番難しい項目だったかもしれない。騒動前の1月にいつものヤナティ合宿をし、3月の騒動直前に親戚の結婚式で茨城に行ってから数ヶ月はとにかく移動しなかった。そもそも渋谷のオフィスにも4〜10月はほとんど行かなかった。11月にStartup Weekendで浜松に、12月にさくらインターネット油井さんに誘われて福岡、鹿児島でメンタリングに行けたのはほんとラッキーだった。2021年も同じような傾向だとは思うけど、騒動がおさまって、また旅に行けるといいなぁ…。


(初鹿児島で初桜島。ほんとに噴煙あげてるんだなぁ、すごい)


(圧倒的ランドマーク)


(島津のお屋敷「仙巌園」良かった)
 
 

生きる

「ちゃんと自分の人生を生きたい」と語った年初ではあるが、周囲に惑わされず、自分の人生を生きるのはなかなか難しい。おそらくHSPなので世の中の様々なできごとにダメージを受けてしまうし、仕事や実家などの問題にも心を乱されてしまう。もっと平常心で自分の人生を生きたいとずっと思ってるが、いつかできるようになるといいな…。とりあえず生き抜いていきたい。
 
 
 

「普通」は尊い

チェックはこんなとこだが、今年は3年ぶりにバセドウ病が再発してしまったのも大きな出来事だった。1月中旬くらいから膝がガクガクいいだして、1月下旬には動悸で少し歩くだけでゼエゼエ言うし、横になっても心臓がドキドキして眠れない。もしかして再発?と2月に入って人間ドックと甲状腺の病院に行った結果、再発確定。人間ドックでは「左心房負担」という見たこともない文字列が。たしかに心臓に負担かかってた自覚はある。


(2017年9月が最初の発症の時で2020年2月が今回)

ホルモン系の数値もこれまで以上に高くて、医者にも「今回投薬でダメだったら手術」と言われる始末。幸い数値は平常くらいまで落ち着いてきたけど、まだ薬は飲んでる。夏頃には「年内で投薬終わるかな」と言う話だったけど。2019年はフルマラソンを2回走ったが、さすがにもう難しいかもしれないので、2021年はゆるやかに運動していきたい。医者にも「痩せろ」と言われた…。

コロナによって「普通」が壊れてしまったけど、体調も含めて「普通」がどれだけ尊いことかをすごく実感した一年だったなと思う。
 

最後に

2021年の抱負は年明けたら書くけど、ここ数年の野望である「東海道、徒歩でどこまでいけるか」をやっていきたい。2017年に地元から保土ヶ谷まで20kmくらいはやったが、箱根越えしたい。箱根8里の半次郎。箱根を越えて浜松くらいまで行きたいものだ。
 
 

2020/12/28 

2020年振り返り〜「普通」は尊い〜

今から28年前、僕は初めて『Tokyo Walker』を買った。

 
 
今から28年前、僕は初めて『Tokyo Walker』を買った。たぶん今頃の季節だったと思う。何の特集だったか忘れたけど、たぶんおしゃれなデートスポット満載だったと思う。
 
 
 
高校に入学したばかりの僕は、相変わらず覇気のない毎日を送っていた。「中学は楽しかったなぁ」なんて思いながら、帰りの電車では一番後ろの車両から一番前の車両までウロウロして、中学の同級生がいないか探したりしていた。
 
とりあえず部活には入ったが、真面目に励むわけでもなく、なんとなく参加していたが、部活で一緒だった同級生とは仲良くなった。
 
その中に石井という奴がいたのだが、そいつには彼女がいた。奴と同じクラスの女子。高校入っていきなり彼女を作るなんて…。石井がおもむろにカバンから出して雑誌を読み始めた。「Tokyo Walkerでどこにデート行くか探す」なんて言いながら。
 
それまで一番背伸びして買った雑誌と言えば『CDでーた』レベルの僕には『Tokyo Walker』という謎の雑誌を読む石井がとてもオトナに見えた。僕はその帰り、本屋で『Tokyo Walker』を買った。これさえ読めばオトナになれる。そんな気がした。
 
家に帰り、いそいそと『Tokyo Walker』を開いた。今思うとなんてことない内容なのだが、その時は妙に興奮して読んだ記憶がある。こんなオトナの雑誌、家の誰かに見られたら恥ずかしい…そう思って、机の鍵付きの引き出しに入れて保管した。
 
それからというもの、僕は毎週『Tokyo Walker』を買った。当時『Tokyo Walker』は週刊だったのだ。ウォーターフロント(死語)のおしゃれなレストランや、新しく開業されたアウトレットなど、最新のスポットが紹介されていた。主にデートの参考になるような場所だ。
 
結局『Tokyo Walker』に書いてあるようなスポットに出かけることは無く高校生活を送るのだが、それでも毎週買った。その頃は主にテレビ番組をチェックするためだけに買っていたような感じだ。
 
いつしか『Tokyo Walker』を買わなくなった。一時期は東京だけでなく各都市の「Walker」も刊行されていたようだが、時代の流れか、週刊が月刊になり、そして…
 


 
 
青春を共にした多くの雑誌が廃刊、休刊になる。これは時代の中でしょうがないことだ。寂しいけれどしょうがない。石井は元気かな。
 
 


(小部屋にも行けなくてさみしい)
 
 

2020/05/12 

今から28年前、僕は初めて『Tokyo Walker』を買った。

読む、書く、話す、動く、生きる

2018年秋から読書をするようになった。自他ともに認める「読書しない人」ではあったが、2019年は一年を通して本を読んだ。まだ読書テクニック的には稚拙な部分があり、まだまだ改善できるなとは思ってる。

世界史が好きで、世界史関連の本も多数読んだが、いろいろ読んでいくうちに、自分の好きなポイントが理解できたのは2019年の収穫かもしれない。僕は中華北部や西部、ロシア南部などの遊牧民にとても興味惹かれるのだ。前から薄々は気づいていたが、やはりそうだ。2019年最後に読んだ本『五胡十六国』はまさにその辺を中心にした本だが、2020年はもう少し深掘っていきたいものだ。

このままいくと読書の話で終わってしまう。このエントリーは「年頭所感」「今年の目標」なのだ。

ちょうど一年前にも「2019年のリスト」というエントリーを書いた。2019年(および中長期的)のやることリストだ。そのリストを読み返してみると、あまり達成度が高くないことに気づいた。それに定性的すぎて達成度がわかりにくい。その辺の反省もふまえて2020年もリストを作成してみようかと思う。
 
 

読む

これまで苦手意識のあった翻訳本もわりとスムーズに読めるようになったので、翻訳本も読む量を増やしていこうかと思ってる。世界史は前述の通り、ジャンルを絞って、深掘って読んでいきたい。読んだら紙にまとめて復習し、覚えるようにしたい。受験勉強さながらの努力で。宗教関連も読み深めていきたいジャンルの一つ。ジャンル問わずたくさん読んで、目標は年間60冊。本(雑誌、マンガ以外)を購入したら、これまで通りBooklogに登録していきます。マンガは『アル』の本棚に収納してます。
 
 

書く

2019年は「調べるお」の更新がかなり滞った。なんとなく一つの役割を終えたような気もしている。いつも年初には「渋谷地図」の更新が恒例行事だったが、今年はやめてみる。渋谷の街も大きく変わったし、僕も変わりたい。モチベーションが上がってきたら更新します。辞めてはないです笑。

一方、noteはたくさん書いた。『普通のまちを歩いて記録するマガジン』『読書と雑記と』『昔聞いていた曲(90’s/渋谷系/etc)』など、50本近くも書いた。たくさん書いたが、たくさんの人に読まれたかというと微妙なので、さすがにもうちょっと反応が得られるようになりたい。

また、いくつかの試みを2020年は再開しようと思ってます。具体的に言うとBRIDGEで連載していた『隠れたキーマン』の復活と、前職から譲受した『UPSTORY』の再開。この二つは絶対にやります。

 

話す

人と話すのが本来はあまり好きではない。人と話した後は往往にして落ち込むのです。それに自分に興味のあること以外は興味持てないので、つまらない会合が多くなってしまいつらい。とはいえ、社会とは人と関わることだと思うので、最低限は会わないといけないので、頑張っていきたい。

でも人と会って、話すのはとても重要だと思ってる。投資先などとは去年以上にコミュニケーション取っていきたいし、応援してる人にはこれまで以上に応援したい。まだ知らない人とも会っていくのは刺激的だ。

bosyuも改めて立ち上げたので、ぜひ話しましょう。

また昨年はいくつかのイベントで登壇したり、モデレーターやらせてもらいましたが、今年はもっとやっていきたい。おそらく僕、モデレーター上手いです笑

 

動く

2017年に一人旅を初めてして以来、ちょいちょい一人で泊まりこみで出かけるようになった。単なる旅であったり、イベント参加だったりと理由は様々だが、今年はその回数を増やしたいと思ってる。カジュアルに移動できる心構えでいたい。

マラソンも今年も参加したい。去年は初マラソンと2回目のマラソンをしたが、一応完走したレベル。今年は「走りきり」たいし、タイムも大幅に縮めたい。目標は5時間切りだが、なるべく5時間に近づけるように努力していきたい。マラソンだけじゃなく、野球やサッカー、その他、もっと運動したいですね。

 

生きる

ちゃんと自分の人生を生きたい。そのためには他人の人生に心を持っていかれないようにしなければならない。自分の人生、自分の時間を大切に。2020年はその気持ちを強く持って生きていきたい。

どうせ生きるならば充実した人生をおくりたい。雑に毎日を過ごすのはやめよう。「丁寧な暮らし」とは言わないが、ちゃんとした暮らしをするように心がけたい。部屋ももっとカッコよくしたいし、音楽ももっと聞きたい。ゲームだって新しいのにチャレンジしたい。奥さんをもっと応援したい。

 
 
 
そんなわけで、2020年も頑張るので、みなさんよろしく。
 
 

2020/01/07 

読む、書く、話す、動く、生きる

【インドネシア訪問記 vol.2 】本番前の自由時間にホテル周辺を散策


 
前回の続き
眠れたような、眠れなかったような、よくわからないが朝はやってきた。窓の外を見るとジャカルタの街が飛び込んできた。夜にはわからなかったが、たくさんの高層ビルが立ち並んでいるんだな。大都会や。今日はこの旅のメインイベントであるEast Ventures10周年記念イベントが開催される。開催はお昼からだったので、ひとまずホテル周辺を毛利くんと散策してみることにした。
 

 
ホテルロビーに降りてみると、何やらド派手な花輪がいくつも飾ってあった。この後開催されるEVイベントのお祝いの花輪だ。日本だと胡蝶蘭やスタンド花とかが主流だけど、インドネシアはこういう感じなんだな。派手。
 
ホテルの敷地から出て、Googleで調べた近くのショッピングセンター的なところを目指して歩くことに。大きな道路沿いの歩道を歩いたのだが、道を歩く人はほとんどおらず、時折Gojekの緑のベストを着たおじさん達が歩道脇で休んでるくらい。歩道のボコボコ具合には少し驚いた。車道の方は、交通渋滞が酷いと聞いていたが、ホテル周辺は比較的空いているように感じた。
 

歩道橋から撮影してみた。
 

ショッピングセンターのテナントの謎の日本語。謎日本語はわりとあちこちで見かけた。

 


 
ショッピングセンターのコンビニで飲み物とお菓子などを購入。お茶は砂糖が入ってるものが多く、飲み物は基本的に甘い。右端の白っぽい飲み物が比較的好きだった。ナタデココが入ってる。MOGU MOGUっていう商品名。ここにも謎日本語が。(MOGU MOGUというインドネシア語があるかもしれんが)
 
お菓子は結構日本製も多くて、日本のお菓子はここでも人気なんだなぁと。飲み物も日本のやつもちらほらあった。でもコンビニを利用する人ってのは比較的富裕層なのかもな、と価格を見ながら思った。会計はキャッシュレスが進んでいて、前に並んでいた人たちはほとんどクレカ?で支払っていた。僕は羽田で大量に両替したので、現金で払ったら、レジの店員さんがお釣りを出すのに慌ててた。
 
 

メイソウもあった。感想としては、ユニクロでも無印でもダイソーでもない、しいて言うならセリアや3COINSに近いような。
 
 

2019/11/28 

【インドネシア訪問記 vol.2 】本番前の自由時間にホテル周辺を散策

ピッチサイドから見たBASEの5年半 vol.8 ~上場、そして物語は第2章へ

 
ピッチサイドから見たBASEの5年半 vol.7 ~創業の地への凱旋 からの続き
 

上場に向けて

六本木グランドタワーに移転してからというもの、ますますBASEオフィスに行く機会は減った。セキュリティが万全のため、フラっと立ち寄れないのだ。無防備に近かった新大宗に比べたらG-SQUAREは強固であったが、グランドタワーに比べれば甘い。それに37階はフラっと行けるとこではない笑 とは言え、鶴岡さんとは取締役会の後にたまに家入さん交えてお茶したり、忘れた頃に突然「お茶しましょう!」と誘ってくれたりする。2018年からは本当に順調そうに見えた。あとは上場に向けて最後の調整をしていくだけ、という感じに映った。
 
 

https://binc.jp/ir
 
2019年春にこのグラフ(の原型)が取締役会で公開された。「素晴らしいね」と皆が口をそろえた。当初より少し遅れたが、上場承認は9月20日、上場日は10月25日に設定された。
 
 

上場

9月20日、無事上場承認され、翌月10月25日、晴れて東証マザーズに上場を果たした。当日は信じられないくらいの大雨の中、前日夜に裾上げが完了したスーツを着て、兜町に向かった。ちなみに緊張と興奮で完全に寝不足だった。
 
東証に着くと、見慣れないスーツ姿のみんながいた。神宮司もちゃんこも就活生っぽい。山村さんは先生っぽい。セレモニーの様子は僕もたくさん写真撮ったけど、BASEのオウンドメディアの方をご覧いただきたく。


 

(太河さんも間に合って良かった!)
 
 
 
歳は違うが誕生日が一緒の家入さんと鶴岡さんが小さな一歩を踏み出してから約7年。二人とも22歳で起業し、二人とも29歳で上場した。そんな「できすぎ」な物語の第1章はここで一旦終わる。しかし、第2章はすでに始まっているのだ。鶴岡さんは上場企業としてBASEをさらなる高みに押し上げていくだろうし、家入さんはCAMPFIREで上場を目指す。お互い上場企業の社長として肩を並べる。それが家入さんの夢だ。BASE上場の翌営業日、CAMPFIREは「累計流通額150億円達成」のプレスリリースを出した。家入さんの夢が叶うのも、そう遠くないのかもしれない。


 
(おわり)
 
 
合わせて読んでおこう




 
 
 
【ピッチサイドから見たBASEの5年半】
Vol.1 家入さん達がまた何か始めた
vol.2 罫線も数字も無い棒グラフ
vol.3 金髪監査役
vol.4 賽は投げられた
vol.5 ちゃんこと神宮司
vol.6 歪みと混沌の闇
vol.7 創業の地への凱旋
vol.8 上場、そして物語は第2章へ

2019/11/07 

ピッチサイドから見たBASEの5年半 vol.8 ~上場、そして物語は第2章へ

ピッチサイドから見たBASEの5年半 vol.7 ~創業の地への凱旋


[https://basebook.binc.jp/entry/2019/02/08/110117]
 
ピッチサイドから見たBASEの5年半 vol.6 ~歪みと混沌の闇 からの続き
 

創業の地

2018年は、PAYの子会社化のニュースから始まった。


春にはBASE初のテレビCMもスタート。メンバーが100人を越え、移転話が持ち上がった。いくつかの候補があったが、すんなり決まった。BASEのオフィス移転はすんなり決まることが多い。新オフィスは六本木一丁目の六本木グランドタワー。これまでとは桁違いのオフィスビルだ。
 
 
僕がBASEに携わるようになったのは「六本木ビル」からだが、BASE創業の地は、僕が「部室」と称した六本木ビル301号室ではなく「柳ビル」という六本木一丁目の古いビルだった。その柳ビルに当時EVシェアオフィスはあった。BASEが創業したのはその頃だ。BASEが法人化した半年後、柳ビルは再開発のために取り壊されることになり、EVシェアオフィスはawabar向かいの六本木ビルに移転した。それに伴いBASEも六本木ビルに移動した。そしてあてがわれたスペースが、僕が部室と称した「301号室」である。
 
六本木ビル、新大宗ビル、G-SQUAREと移転を繰り返している間、柳ビルは再開発され、新しい大きなオフィスビルが建った。それが「六本木グランドタワー」。2012年11月、柳ビルにあったEVシェアオフィスの片隅で鶴岡さんと数人のメンバーで始まったBASEは、2018年9月、100名を越える仲間と共に創業の地に新たに建ったキレイなビル「六本木グランドタワー」の37階、300坪のオフィスに舞い戻った。まさに凱旋だ。
 


 

生え抜きの成長と信頼


2018年7月、執行役員制度ができ、神宮司が執行役員に就任した。成長してるのは知ってたし、社内における存在感から執行役員就任に違和感は無かった。けどやっぱり嬉しい。朝出社しなくて、責任と「パン」を与えることで、改善するんじゃないかと試行錯誤した新大宗時代を思い浮かべると、嘘みたいだ。でも、鶴岡さんはずっと神宮司を信じてたし、実力を認めていた。BASE創業から4ヶ月後の鶴岡さんのツイート。


一貫して神宮司を尊敬し、信頼してる。神宮司もそれに応えた。美しいではないか…涙。そしてこちらは最近のツイートだが、


ほんとこの通りで、神宮司(gg)の圧倒的成長によってBASEは救われたし、ここから先のプロダクトも楽しみでしかない。
 
 


経営合宿の様子がツイートされて、何気なく写真を見たらちゃんこがいた。思わず涙ぐんだ。そしてMVP(四半期かな?)を獲得したこともツイートで知った。新卒の頃、Mag.編集長をやってた頃を思い浮かべると感無量過ぎる…涙


「めちゃ頼りなるんですよ。みんなからの信頼も厚いし、チームもすごくまとまってる。ちゃんこ大成長!」と嬉しそうに鶴岡さんが教えてくれたこともある。本当に嬉しい…涙


BASEファミリーの末っ子だったちゃんこも今や立派なお姉さんに成長して嬉しい。
 
 
 
【ピッチサイドから見たBASEの5年半】
Vol.1 家入さん達がまた何か始めた
vol.2 罫線も数字も無い棒グラフ
vol.3 金髪監査役
vol.4 賽は投げられた
vol.5 ちゃんこと神宮司
vol.6 歪みと混沌の闇
vol.7 創業の地への凱旋
vol.8 上場、そして物語は第2章へ

2019/11/07 

ピッチサイドから見たBASEの5年半 vol.7 ~創業の地への凱旋

ピッチサイドから見たBASEの5年半 vol.6 ~歪みと混沌の闇


ピッチサイドから見たBASEの5年半 vol.5 ~ちゃんこと神宮司 からの続き
 

「知ってる人」がすごく少なくなっていった2016年

2015年暮れ、メルカリとの資本提携の話が議題にあがった。両社はともに同じシェアオフィスで創業期を過ごした中。スタートアップ同士の資本提携は前例があまり無く、ワクワクしながら事の成り行きを見守った。2016年の仕事始め、資本提携が正式に発表された。飛躍を感じさせる新年の幕開けだったのだが…。
 
個人的には、2005年後半から2016年は「BASE Mag.」編集部として記事を書いたりもした。一時期は奥さんにも少し手伝ってもらったりもした。そんなわけで、月イチの取締役会以外にも、週イチのMag.定例や記事の入稿などでちょいちょいオフィスには顔は出していた。
 


 
この頃からちょっとずつ会社に異変が生じ始めていた。昔からいる「知ってる人」が会社を辞め始めたのだ。資金調達もしたし、それに伴いガンガン採用してた。春にはBASE採用イベントのモデレーターをやった。新しい人が増え、組織化にも取り組んでいった。だが、新しい人はどんどん入ってくるが、初期メンバーがどんどん辞め、新しく入った人もなかなか定着しない。当然社内ムードも停滞する。
渋谷移転からBASEに入り浸り、メンバーや社内風景をたくさん撮ってきたが、フォルダを見返すと、2016年夏くらいから極端にBASE関連の写真が減った。
 
事業は伸びていたし、10月にはSBIなどから15億円の大型資金調達も実施した。会社としては順調と言える状態にも関わらず、人の入れ替わりが激しく、どんよりした空気感があった。忘年会には毎年参加しているが、この年の忘年会の雰囲気はどこかぎこちなく、一部ギスギスもしていたのが印象深く記憶に残っている。
 
 

混沌の闇、そして光明


人はどんどん増えていて、G-SQUARE2階を新たに借り増した。累計ショップ開設数40万店舗を突破するなど事業的には勢いよく伸びていた7月。この頃が鶴岡さんの精神状態が一番キツかったのではないかと推測する。あくまで個人的な推測であるし、もちろんそういう姿は全然見せてなかったけど、そんな気がしている。2016〜2017年の苦悩はこちらの記事で紹介されているのでぜひ。


ピークがきたらあとは良くなっていくだけとも言える。実際直後に鶴岡さんと話した際に「(雰囲気は)劇的に良くなってきました」と言っていた。年末くらいまでは組織的に不安定な部分も見受けられたが、それでも確かに雰囲気は良くなっていったような気がする。週イチのMTGも無くなり、基本的には月イチの取締役でしかBASEに行く機会は無くなっていたので、正直組織のことはわからない。しかし、たまに会った時の雑談であったり、SNSの空気感から、だいぶ良い方向に進んでいるのは感じていた。
 
何がきっかけで良くなったのか?
鶴岡さんや役員陣からは改善施策を聞いてはいた。わりとオーソドックスなことが効いたりするんだなぁと思った(詳しくは書かないけど)。みんな悩んで、いろんな施策を打っていたが、それ以外にも雰囲気が良くなった理由はあるんじゃないか?ここからはまた僕の想像。
 
・若手の台頭が雰囲気を良くしていった
@chiiichell @_mrkzk_ @ka1kou @yoshiki0_ @AiYoneda 他にもたくさん若手がいるが、彼ら若手メンバーが活躍、台頭することによって、まるで「創業当時のガチャガチャ感」が再び生まれたような気がする。※この記事めちゃ良かった

山村さん、岸本さんなど、ミドルレイヤーが固まったのも大きい
重要なポジションであるミドル層が紆余曲折の上で固まったのも安定した組織構築には不可欠。そのポジションが紆余曲折を経て2017年後半から固まっていったのは大きな意味を持つのではないかと思う。

・生え抜きである神宮司、ちゃんこの大成長
前述の通り、創業以来、飛躍的に成長を続ける神宮司がプロダクトマネージャーとして組織内を縦横無尽に飛び回って活躍していた。また、『BASE Mag.』編集長としての挫折から立ち直ったちゃんこは、カスタマーサポートのリーダーとして活躍していた。やはりプロパーが実力を発揮し、活躍している組織は良い。
 
 
極限まで混沌を極めた組織がついに立ち直り、来年の飛躍を感じさせる2017年の忘年会だった。


 
 
 
【ピッチサイドから見たBASEの5年半】
Vol.1 家入さん達がまた何か始めた
vol.2 罫線も数字も無い棒グラフ
vol.3 金髪監査役
vol.4 賽は投げられた
vol.5 ちゃんこと神宮司
vol.6 歪みと混沌の闇
vol.7 創業の地への凱旋
vol.8 上場、そして物語は第2章へ

2019/11/07 

ピッチサイドから見たBASEの5年半 vol.6 ~歪みと混沌の闇