この10年

プロローグ

今から10年前の12月30日22時半。コッソリとブログを更新した。『これまでの10年とこれからのワクワク』と題したいわゆる「退職エントリー」というやつである。僕は創業から携わっていた会社を翌年2月末で去ることを世の中に告げた。とはいえ、年末押し迫った30日の夜。誰もインターネットなんぞやってないだろうと思っていた。しかしヌルっと界隈には広まり、SNSやら謎メディア『netgeek』などで少し話題にされた。
 
この時点では本当に次の進路について全く決まってなかった。27歳10ヶ月までフリーター(ほぼニート)生活をしていた僕が縁あって創業期の前職に潜り込んで10年。まともに就職したのが前職が初めてなので、この時が人生初の転職活動であり、何をどうすればいいのかもよくわからなかったが、有給が一ヶ月半くらい残っていたので、その間に決めればいいかなって思ってた。
 
退職エントリーを読んだいろんな人から「ウチに来ないか」とお誘いいただいたんだけど、その中で異業種で正直どんな業務があるのかもわからないVCに行くことに決めた。そのあたりのことは転職エントリー『フェローになりました』を読んでいただくとして、まぁとにかくEast Ventures(EV)でお世話になることになりました。
 
どういう業務が待っているかはわからないけど、僕もそれなりに経験あったし、なんとかなるだろうと楽観視してた。さすがに若い大学生とかと比べたら「できる」だろうから、いろいろ教えてあげちゃうぞーと思ったりしてた。転職前に何人もの大学生インターン、若い起業家などと話す機会もあり、「みんな優秀だなー」とは感じていたけど、まぁ言うても大学生でしょ、20代前半でしょ、と。僕は(自分で言うのもなんだけど)わりと謙虚な方だとは思うだけど、正直そういう気持ちも少しはあった。
 
 

衝撃

転職初日。今や笑い話として伝説化している「てるま事件」が忘れられない。けど、てるまのおかげで初日からみんなと仲良くできた気がするので、とても感謝している。この日は木下さん鶴岡さんアンリさんなど、いろんな人が「303」に来てくれて、ご挨拶することができた。アンリさん、てるまとは夜に食事にも行った。帰りに六本木ヒルズあたりを歩いていたら、ストリートビューの車が停車してて「六本木すげー」と思った。
 
二日目。太河さんに誘われて近くのカフェ『breaq』に行き、太河さんはそこで僕がEVに転職したことをFacebookに投稿した。「この内容で大丈夫ですかね?」と確認しながら慎重に投稿してくれたのを思い出す。ちょっと感激した。オフィスに戻ったあと「SEOが得意な若者がいるんで、大柴さんの知識を教えてあげてください」と太河さんに言われ会ったのがアリコー。話して数分で「やばい、僕なんかの知識と比べるレベルじゃない。圧倒的に高い。それにまだ20歳そこそこなのに、経験も豊富。正直教えることなんか1mmもない…」と感じた。
 
そして今度は鶴岡さん。外から見てた印象は「ネット大好きお兄ちゃん」って感じだった。それはそれで正しいんだけど、もっとぼんやりした感じの人なのかなって思ってた。でも実際に話してみると印象は変わる。想像以上に頭がキレる。そして経営者としての器の大きさを感じ、「こりゃとてつもない大物じゃないか…」と衝撃を受けた。
 
アリコーに鶴岡さん、その他次々に現れる優秀な若者たち。「いろいろ教えてあげちゃうぞー」という気持ちは木っ端微塵に砕け散り、「この先どうしたらいいんだ…」という恐怖とも不安とも言えない気持ちに包まれた。まじでどうしよう…。
 
 

(もらったステッカーを貼ったMBA。ステッカー余白部分をちまちまと切ったりしてから貼った。)
 

進化するためにここにきた

ここからの選択肢は大きく2つあると思う。1つ目はこれまでの経験、知識に基づいたフレームに固執し、そのフレームを相手の状況を鑑みずに当てはめるやり方。「知った風」を演じながら自分の成功体験にだけ基づいたフレームを押し付ける。全てが間違ったことを言ってるわけではないが、状況にそぐわないケースも少なくなかったりする。そんなスタンスのおじさんはわりと多い。2つ目は、素直に自分の無力さを受け入れて、アップデートしていくやり方。昨今話題になっているキーワードである「リスキリング」のようなことかな。それはそれでけっこう大変。
 
前者をやるのは簡単かもしれないけど、でもそれってなんかカッコ悪いなって。そもそも自分の経験、知識はたいしたことないことを悟ったし、進化するために転職したので、ここは後者の方を頑張っていくしかないと心に決めた。とはいえ、学校にきてるわけじゃないので、学びながらも一定の価値を提供していかなければならない。自分に出せる価値はなんなのか?それを日々考え、模索する日々が始まった。
 
とりあえず自分にできることはなるべく全部やろうと思い、営業同行やランディングページ作成、ライティングのお手伝い、オフィスの掃除などなど、実務面でのサポートにまずは取り掛かった。ただそんなに価値を出せた気がしない。しかしやるしかない。実務をやりながら、自分が提供できる価値は何かを模索していた。毎日無力感に苛まれていた記憶がある。

そんな中、自分のフレームを押し付けずに相手の状況、本音、悩みなどを素早く理解して、適切と思われる回答をしていくことをしようとしているうちに、「聞く力」がついてきた気がした。単なる傾聴力ではなく、「聞く力」。簡単に整理すると、

・聞く力がある:
 相手の話を理解でき、かつ相手の話を聞いてあげることができる。また、相手が「この人には話していいんだ」「話したい」と感じる

・聞く力がない:
相手の話を理解できたとしても、相手の話を最後までちゃんと聞かない。また、相手が「この人には話したくない」と感じる

こんな感じの整理。僕には特段すごい能力はなく、何かのスペシャリストではない。僕のような凡人が、すごい能力がゴロゴロ存在するスタートアップ界隈で生きていくには、この「聞く力」ってのが僕にとって重要なんじゃないかなって気がした。日々の業務でも鍛えられたし、転職と同時期に始めたBRIDGEでの連載『隠れたキーマンを調べるお』の経験も「聞く力」を醸成するために役立った気がする。
 
 

カサンドラ

一方その頃家庭では大きな問題に直面していた。奥さんがカサンドラ症候群のようになってしまったのだ。結婚して10年。無意識に奥さんを振り回し、不信感を貯めさせてしまっていたようだ。自分はけっこう良い夫だと思っていただけにショックだったし、どうしていいかもわからなくて悩んだ。職場でも家でも悩む日々。しかし元は全て僕の責任であるので、解決にむけて試行錯誤していった。2016年は正直辛い一年だった。しかし2017年明け、ようやく解決の糸口が見え、そこからは徐々にであるが平穏な日も増えていった。
 
そして、この時期にいろいろ悩んで考え、試行錯誤したことがその後の起業家たちとのコミュニケーションにも活かされた気がしている。
 
転職初期に優れた若者と出会ったことによる「自分の価値の模索」、奥さんとの関係改善における試行錯誤、認識の調整。どちらも大変だったけど、そのおかげでかなり進化できたと思う。最初の3年に起きた二つの出来事がその先の僕を大きく変えた。めちゃくちゃ成長した実感がある。
 
 

VC向いてないんじゃないか?

仕事において自分が価値提供できることは何かを考えていた頃、同時に「VC向いてないんじゃないかな?」という思考も常に存在していた。前職では主に経営陣として過ごしていた。経営とは「決定」するのが仕事とも言える。一方でVCに転職後は、投資先起業家とのMTGなどで「こっちの方がいいんじゃない?」と提案することはあるが、決めるのは起業家の仕事である。「決められない」もどかしさが自分の中に溜まっていくように感じた。
 
しかし、客観的立場で物事を見て、相談にのったりすることは向いているように思えた。前職時に「経営企画室とか社長室とか、そういう事業部に属さないポジションにおいた方が価値を発揮できると思うんですよね」と社長によく話していたが、まさに今やってる仕事はそれに近いのではないか?それに気づいてからVCに向いているのかもしれないと逆に感じるようになった。まぁ単純に仕事に慣れてきたってのもあるかもしれないが。
 
そんなこんなで転職から3年は悩み、模索する時間が多かったが、若い優秀な人たちとコミュニケーションとるのは楽しかったし、携わっていた会社がどんどん大きくなったり、MAされたりするのを間近で見ることができたのはとても大きな財産になったなと感じている。あの日あの時あの場所にいなければ見ることができなかった景色。すごく良いタイミングでスタートアップに携わることができたなと思う。
 
 

本厄

家庭の問題もようやく上向いてきた気がした2017年。体調というか気分的に元気になってきて、毎週無闇にすごい歩いていた。散歩ってレベルじゃないくらい歩いていた。国道1号線沿いにある地元駅から「徒歩でどこまで行けるか?」にチャレンジしたりもした(結果、保土ヶ谷で景色に飽きて、電車で大磯まで行き、そこから平塚まで歩いた。合計25kmくらい)。多肉植物や観葉植物を大量に購入して育て始めたり、ダシイレさんとイベントしたり(ダシイレ調べるおナイト)、単独イベント「調べるおmeetup」も開催した。とにかくアクティブに過ごした。
 

(ファンコミュニケーションズさんのオフィスをお借りして開催した「調べるおmeetup」)
 
小部屋が整備されたのもこの頃。居場所ができたことで、毎日小部屋に出勤するようになった。また毎日小部屋にいることで、「小部屋に行けば調べるおさんはいる」というブランディングができあがり、いろんな人が気軽に立ち寄ってくれるようになった。コロナで小部屋文化がいったん途切れてしまったが、来年以降徐々に復活させていきたいものだ。そんなわけで、一見して順調そうな毎日のような感じだったが、この年は「本厄」。これで終わるようなことはなかった。
 
春先から「夜ごはんだけ炭水化物抜きダイエット」というユルい取り組みをはじめていた。今までどんなダイエットもうまくいかなかった僕だが、なぜか今回はガンガン痩せていった。4ヶ月半で14kg痩せた。マジでこのダイエットすげえ!と思ってみんなにドヤっていたのだが、結論「単なる病気」だった。甲状腺の病気であるバセドウ病になってしまっていたのだ。アクティブな気分になっていたのも、病気のせいだったかもしれない。バセドウ病投薬治療が開始され、わりとすぐにホルモン値は落ち着いたが、「死」というものを身近に感じてしまい、なんらかの生きた証を残さなきゃ!という気持ちになって、いくつかのWebメディアからのインタビューにこたえたりした。有名なとこでいうと『CAREER HACK』。
 
 

2018

体調は比較的良くなってきて、通常業務は全く支障のない程度にまで落ち着いた2018年。毎日小部屋に出勤して、たくさんの来客をお迎えしていました。ただ、一番小部屋にやってきていたのは木下さんですが。
 
そんな木下さんの訪問回数を超える勢いでこの頃小部屋にやってきていたのが、同じビル7階のEVシェアオフィスにいたFinT大槻ゆいちゃん。EVでのインターン、留学、スタートアップインターンを経て2017年に起業したものの、共同創業者も去り、事業も全く上手くいかず、キャッシュも底を尽きかけていた。とりあえず毎週定例MTGをやることになり、FinT立て直しの策を一緒に考えた。まぁけど僕がやったことは悩みを聞いたり、お菓子をあげたりしただけなんだけど。その後、秋から現在の主力事業であるSNSマーケ事業を開始したことによってついに上昇ムードになっていき、そこからの大躍進はみなさまもご存知の通りかと思います。

一区切り感

EVとは別に2015年末から前職の非常勤取締役になっていたのだが、2019年3月をもって退任した。ずっと保有していた株も手放した。そのほか、いくつかお手伝いしていた会社との契約も終了。そして秋にはBASEが上場を果たす。EVに転職してすぐに投資先支援の一環としてBASE社の監査役になり、BASEオフィスで過ごす時間も多く、たくさんのメンバーともコミュニケーションとった。個人的に思い入れの深い会社。東証にも初めて行って、打鐘も見ることができた。
 
一つの区切りを感じて、この先の人生について改めて考えてみた。考えた結果、しばらくはこのままVCのお仕事をやっていこう。そう決断した。BASEはパブリックな存在となって羽ばたいていったが、FinTを始め、他にもたくさんの関わっている会社がある。そんな起業家、会社をもう少し近くで見ていたい。そう思った。
 
これまでは太河さんが担当していた会社を引き継ぐような形でやっていたが、「来年からは新規投資もしよう」と決めた。「続ける意思が曖昧なのに新規投資するのはよくない」とずっと思ってきたが、続ける意思を決めたので、新規をやろうと。そう思わせる起業家に出会ったことも大きい。「来年はやってやるぞ!」と決意を新たに2019年は暮れていった。まさか新しい年があんなことになるなんて…。
 

(EV10周年で初めてジャカルタに。刺激的でした)
 

コロナ

2019年に何箇所か地方イベントに参加する機会があり、地方に興味を持った。スタートアップは東京だけのものではない。これから少し地方に行く機会を増やしていきたい。そんなことを2020年の正月に考えていた。
 
そんな折、海の向こうから何やら不穏なニュースがやってきた。新型コロナウイルス。最初は大した話じゃないだろうと思っていた。しかし次第に日本国ないでもその影響が出てきて、渋谷の某IT企業が全面リモートに切り替えるなどもあり、渋谷の街も人が減っていった。トイレットペーパーが世の中から消えたのも思い出される。
 
流行り病とは関係なく、僕の身体にも変調が見られた。動悸、息切れが半端ない。普通に歩くだけでゼエゼエと呼吸が乱れてしまう。「これ、もしかして…」と甲状腺の病院に行ってみたところ、見事に再発。心臓の状態も良くなくて、無理できない身体になったこともあり、コロナ本格化も合間って、自宅からの作業が始まることとなった。
 
コロナの影響で伸びた会社もあったが、苦しい時期をむかえた会社も多かった。みんなそれぞれ頑張って乗り切った。この経験がその後にきっと活きてくると思う。
 
年末には体調も落ち着き、念願の地方遠征も少しずつ始められるようになった。2021年からは結構な頻度で地方に行くようになった。
 
コロナも体調も良くなったり、悪くなったりを繰り返しながら、基本的には良い方向に向かっていると思う。まぁ2023年、再び僕のバセドウ病は再発したのだが…。2024年も引き続き体調の様子をみながら、投資先、全国の起業家、全ての関わる人になんらかの価値を提供できるように頑張っていきたい。
 

(桜島は本当に感動するので、ぜひ行ってみてほしい)
 

時代に適応していく

Withコロナという言葉があったが、その状況に悲観するだけでなく、またそれまでのスタイルに固執することなく、柔軟にその時代に適応していく必要があることをこの数年で僕たちは実感したと思う。
 
10年前、転職してすぐに僕も「柔軟に適応」していく必要を感じた。なんだか同じようなことだなと思う。スタートアップの世界においてこの「柔軟に適応」というのが非常に重要。この世界いいる限り、これからも柔軟に生きていきたい。いや、この世界じゃなくても柔軟性は重要なのかもしれない。
 
10年前に「自分自身の改革」の必要性を感じ、新たな世界に飛び込んだわけだが、それなりに「改革」できた気はしている。成長を実感している。転職したことは僕の人生にとって大成功だったなと言える。ただ100%満足してるかというとそうではない。もっとやれた、もっと成長できたとは思う。まぁその辺の課題はこの先の人生でやっていければいいのかもしれない。多少の不満足感があった方が人は進化できる。
 
 
 

2023/12/29 

この10年