この10年

プロローグ

今から10年前の12月30日22時半。コッソリとブログを更新した。『これまでの10年とこれからのワクワク』と題したいわゆる「退職エントリー」というやつである。僕は創業から携わっていた会社を翌年2月末で去ることを世の中に告げた。とはいえ、年末押し迫った30日の夜。誰もインターネットなんぞやってないだろうと思っていた。しかしヌルっと界隈には広まり、SNSやら謎メディア『netgeek』などで少し話題にされた。
 
この時点では本当に次の進路について全く決まってなかった。27歳10ヶ月までフリーター(ほぼニート)生活をしていた僕が縁あって創業期の前職に潜り込んで10年。まともに就職したのが前職が初めてなので、この時が人生初の転職活動であり、何をどうすればいいのかもよくわからなかったが、有給が一ヶ月半くらい残っていたので、その間に決めればいいかなって思ってた。
 
退職エントリーを読んだいろんな人から「ウチに来ないか」とお誘いいただいたんだけど、その中で異業種で正直どんな業務があるのかもわからないVCに行くことに決めた。そのあたりのことは転職エントリー『フェローになりました』を読んでいただくとして、まぁとにかくEast Ventures(EV)でお世話になることになりました。
 
どういう業務が待っているかはわからないけど、僕もそれなりに経験あったし、なんとかなるだろうと楽観視してた。さすがに若い大学生とかと比べたら「できる」だろうから、いろいろ教えてあげちゃうぞーと思ったりしてた。転職前に何人もの大学生インターン、若い起業家などと話す機会もあり、「みんな優秀だなー」とは感じていたけど、まぁ言うても大学生でしょ、20代前半でしょ、と。僕は(自分で言うのもなんだけど)わりと謙虚な方だとは思うだけど、正直そういう気持ちも少しはあった。
 
 

衝撃

転職初日。今や笑い話として伝説化している「てるま事件」が忘れられない。けど、てるまのおかげで初日からみんなと仲良くできた気がするので、とても感謝している。この日は木下さん鶴岡さんアンリさんなど、いろんな人が「303」に来てくれて、ご挨拶することができた。アンリさん、てるまとは夜に食事にも行った。帰りに六本木ヒルズあたりを歩いていたら、ストリートビューの車が停車してて「六本木すげー」と思った。
 
二日目。太河さんに誘われて近くのカフェ『breaq』に行き、太河さんはそこで僕がEVに転職したことをFacebookに投稿した。「この内容で大丈夫ですかね?」と確認しながら慎重に投稿してくれたのを思い出す。ちょっと感激した。オフィスに戻ったあと「SEOが得意な若者がいるんで、大柴さんの知識を教えてあげてください」と太河さんに言われ会ったのがアリコー。話して数分で「やばい、僕なんかの知識と比べるレベルじゃない。圧倒的に高い。それにまだ20歳そこそこなのに、経験も豊富。正直教えることなんか1mmもない…」と感じた。
 
そして今度は鶴岡さん。外から見てた印象は「ネット大好きお兄ちゃん」って感じだった。それはそれで正しいんだけど、もっとぼんやりした感じの人なのかなって思ってた。でも実際に話してみると印象は変わる。想像以上に頭がキレる。そして経営者としての器の大きさを感じ、「こりゃとてつもない大物じゃないか…」と衝撃を受けた。
 
アリコーに鶴岡さん、その他次々に現れる優秀な若者たち。「いろいろ教えてあげちゃうぞー」という気持ちは木っ端微塵に砕け散り、「この先どうしたらいいんだ…」という恐怖とも不安とも言えない気持ちに包まれた。まじでどうしよう…。
 
 

(もらったステッカーを貼ったMBA。ステッカー余白部分をちまちまと切ったりしてから貼った。)
 

進化するためにここにきた

ここからの選択肢は大きく2つあると思う。1つ目はこれまでの経験、知識に基づいたフレームに固執し、そのフレームを相手の状況を鑑みずに当てはめるやり方。「知った風」を演じながら自分の成功体験にだけ基づいたフレームを押し付ける。全てが間違ったことを言ってるわけではないが、状況にそぐわないケースも少なくなかったりする。そんなスタンスのおじさんはわりと多い。2つ目は、素直に自分の無力さを受け入れて、アップデートしていくやり方。昨今話題になっているキーワードである「リスキリング」のようなことかな。それはそれでけっこう大変。
 
前者をやるのは簡単かもしれないけど、でもそれってなんかカッコ悪いなって。そもそも自分の経験、知識はたいしたことないことを悟ったし、進化するために転職したので、ここは後者の方を頑張っていくしかないと心に決めた。とはいえ、学校にきてるわけじゃないので、学びながらも一定の価値を提供していかなければならない。自分に出せる価値はなんなのか?それを日々考え、模索する日々が始まった。
 
とりあえず自分にできることはなるべく全部やろうと思い、営業同行やランディングページ作成、ライティングのお手伝い、オフィスの掃除などなど、実務面でのサポートにまずは取り掛かった。ただそんなに価値を出せた気がしない。しかしやるしかない。実務をやりながら、自分が提供できる価値は何かを模索していた。毎日無力感に苛まれていた記憶がある。

そんな中、自分のフレームを押し付けずに相手の状況、本音、悩みなどを素早く理解して、適切と思われる回答をしていくことをしようとしているうちに、「聞く力」がついてきた気がした。単なる傾聴力ではなく、「聞く力」。簡単に整理すると、

・聞く力がある:
 相手の話を理解でき、かつ相手の話を聞いてあげることができる。また、相手が「この人には話していいんだ」「話したい」と感じる

・聞く力がない:
相手の話を理解できたとしても、相手の話を最後までちゃんと聞かない。また、相手が「この人には話したくない」と感じる

こんな感じの整理。僕には特段すごい能力はなく、何かのスペシャリストではない。僕のような凡人が、すごい能力がゴロゴロ存在するスタートアップ界隈で生きていくには、この「聞く力」ってのが僕にとって重要なんじゃないかなって気がした。日々の業務でも鍛えられたし、転職と同時期に始めたBRIDGEでの連載『隠れたキーマンを調べるお』の経験も「聞く力」を醸成するために役立った気がする。
 
 

カサンドラ

一方その頃家庭では大きな問題に直面していた。奥さんがカサンドラ症候群のようになってしまったのだ。結婚して10年。無意識に奥さんを振り回し、不信感を貯めさせてしまっていたようだ。自分はけっこう良い夫だと思っていただけにショックだったし、どうしていいかもわからなくて悩んだ。職場でも家でも悩む日々。しかし元は全て僕の責任であるので、解決にむけて試行錯誤していった。2016年は正直辛い一年だった。しかし2017年明け、ようやく解決の糸口が見え、そこからは徐々にであるが平穏な日も増えていった。
 
そして、この時期にいろいろ悩んで考え、試行錯誤したことがその後の起業家たちとのコミュニケーションにも活かされた気がしている。
 
転職初期に優れた若者と出会ったことによる「自分の価値の模索」、奥さんとの関係改善における試行錯誤、認識の調整。どちらも大変だったけど、そのおかげでかなり進化できたと思う。最初の3年に起きた二つの出来事がその先の僕を大きく変えた。めちゃくちゃ成長した実感がある。
 
 

VC向いてないんじゃないか?

仕事において自分が価値提供できることは何かを考えていた頃、同時に「VC向いてないんじゃないかな?」という思考も常に存在していた。前職では主に経営陣として過ごしていた。経営とは「決定」するのが仕事とも言える。一方でVCに転職後は、投資先起業家とのMTGなどで「こっちの方がいいんじゃない?」と提案することはあるが、決めるのは起業家の仕事である。「決められない」もどかしさが自分の中に溜まっていくように感じた。
 
しかし、客観的立場で物事を見て、相談にのったりすることは向いているように思えた。前職時に「経営企画室とか社長室とか、そういう事業部に属さないポジションにおいた方が価値を発揮できると思うんですよね」と社長によく話していたが、まさに今やってる仕事はそれに近いのではないか?それに気づいてからVCに向いているのかもしれないと逆に感じるようになった。まぁ単純に仕事に慣れてきたってのもあるかもしれないが。
 
そんなこんなで転職から3年は悩み、模索する時間が多かったが、若い優秀な人たちとコミュニケーションとるのは楽しかったし、携わっていた会社がどんどん大きくなったり、MAされたりするのを間近で見ることができたのはとても大きな財産になったなと感じている。あの日あの時あの場所にいなければ見ることができなかった景色。すごく良いタイミングでスタートアップに携わることができたなと思う。
 
 

本厄

家庭の問題もようやく上向いてきた気がした2017年。体調というか気分的に元気になってきて、毎週無闇にすごい歩いていた。散歩ってレベルじゃないくらい歩いていた。国道1号線沿いにある地元駅から「徒歩でどこまで行けるか?」にチャレンジしたりもした(結果、保土ヶ谷で景色に飽きて、電車で大磯まで行き、そこから平塚まで歩いた。合計25kmくらい)。多肉植物や観葉植物を大量に購入して育て始めたり、ダシイレさんとイベントしたり(ダシイレ調べるおナイト)、単独イベント「調べるおmeetup」も開催した。とにかくアクティブに過ごした。
 

(ファンコミュニケーションズさんのオフィスをお借りして開催した「調べるおmeetup」)
 
小部屋が整備されたのもこの頃。居場所ができたことで、毎日小部屋に出勤するようになった。また毎日小部屋にいることで、「小部屋に行けば調べるおさんはいる」というブランディングができあがり、いろんな人が気軽に立ち寄ってくれるようになった。コロナで小部屋文化がいったん途切れてしまったが、来年以降徐々に復活させていきたいものだ。そんなわけで、一見して順調そうな毎日のような感じだったが、この年は「本厄」。これで終わるようなことはなかった。
 
春先から「夜ごはんだけ炭水化物抜きダイエット」というユルい取り組みをはじめていた。今までどんなダイエットもうまくいかなかった僕だが、なぜか今回はガンガン痩せていった。4ヶ月半で14kg痩せた。マジでこのダイエットすげえ!と思ってみんなにドヤっていたのだが、結論「単なる病気」だった。甲状腺の病気であるバセドウ病になってしまっていたのだ。アクティブな気分になっていたのも、病気のせいだったかもしれない。バセドウ病投薬治療が開始され、わりとすぐにホルモン値は落ち着いたが、「死」というものを身近に感じてしまい、なんらかの生きた証を残さなきゃ!という気持ちになって、いくつかのWebメディアからのインタビューにこたえたりした。有名なとこでいうと『CAREER HACK』。
 
 

2018

体調は比較的良くなってきて、通常業務は全く支障のない程度にまで落ち着いた2018年。毎日小部屋に出勤して、たくさんの来客をお迎えしていました。ただ、一番小部屋にやってきていたのは木下さんですが。
 
そんな木下さんの訪問回数を超える勢いでこの頃小部屋にやってきていたのが、同じビル7階のEVシェアオフィスにいたFinT大槻ゆいちゃん。EVでのインターン、留学、スタートアップインターンを経て2017年に起業したものの、共同創業者も去り、事業も全く上手くいかず、キャッシュも底を尽きかけていた。とりあえず毎週定例MTGをやることになり、FinT立て直しの策を一緒に考えた。まぁけど僕がやったことは悩みを聞いたり、お菓子をあげたりしただけなんだけど。その後、秋から現在の主力事業であるSNSマーケ事業を開始したことによってついに上昇ムードになっていき、そこからの大躍進はみなさまもご存知の通りかと思います。

一区切り感

EVとは別に2015年末から前職の非常勤取締役になっていたのだが、2019年3月をもって退任した。ずっと保有していた株も手放した。そのほか、いくつかお手伝いしていた会社との契約も終了。そして秋にはBASEが上場を果たす。EVに転職してすぐに投資先支援の一環としてBASE社の監査役になり、BASEオフィスで過ごす時間も多く、たくさんのメンバーともコミュニケーションとった。個人的に思い入れの深い会社。東証にも初めて行って、打鐘も見ることができた。
 
一つの区切りを感じて、この先の人生について改めて考えてみた。考えた結果、しばらくはこのままVCのお仕事をやっていこう。そう決断した。BASEはパブリックな存在となって羽ばたいていったが、FinTを始め、他にもたくさんの関わっている会社がある。そんな起業家、会社をもう少し近くで見ていたい。そう思った。
 
これまでは太河さんが担当していた会社を引き継ぐような形でやっていたが、「来年からは新規投資もしよう」と決めた。「続ける意思が曖昧なのに新規投資するのはよくない」とずっと思ってきたが、続ける意思を決めたので、新規をやろうと。そう思わせる起業家に出会ったことも大きい。「来年はやってやるぞ!」と決意を新たに2019年は暮れていった。まさか新しい年があんなことになるなんて…。
 

(EV10周年で初めてジャカルタに。刺激的でした)
 

コロナ

2019年に何箇所か地方イベントに参加する機会があり、地方に興味を持った。スタートアップは東京だけのものではない。これから少し地方に行く機会を増やしていきたい。そんなことを2020年の正月に考えていた。
 
そんな折、海の向こうから何やら不穏なニュースがやってきた。新型コロナウイルス。最初は大した話じゃないだろうと思っていた。しかし次第に日本国ないでもその影響が出てきて、渋谷の某IT企業が全面リモートに切り替えるなどもあり、渋谷の街も人が減っていった。トイレットペーパーが世の中から消えたのも思い出される。
 
流行り病とは関係なく、僕の身体にも変調が見られた。動悸、息切れが半端ない。普通に歩くだけでゼエゼエと呼吸が乱れてしまう。「これ、もしかして…」と甲状腺の病院に行ってみたところ、見事に再発。心臓の状態も良くなくて、無理できない身体になったこともあり、コロナ本格化も合間って、自宅からの作業が始まることとなった。
 
コロナの影響で伸びた会社もあったが、苦しい時期をむかえた会社も多かった。みんなそれぞれ頑張って乗り切った。この経験がその後にきっと活きてくると思う。
 
年末には体調も落ち着き、念願の地方遠征も少しずつ始められるようになった。2021年からは結構な頻度で地方に行くようになった。
 
コロナも体調も良くなったり、悪くなったりを繰り返しながら、基本的には良い方向に向かっていると思う。まぁ2023年、再び僕のバセドウ病は再発したのだが…。2024年も引き続き体調の様子をみながら、投資先、全国の起業家、全ての関わる人になんらかの価値を提供できるように頑張っていきたい。
 

(桜島は本当に感動するので、ぜひ行ってみてほしい)
 

時代に適応していく

Withコロナという言葉があったが、その状況に悲観するだけでなく、またそれまでのスタイルに固執することなく、柔軟にその時代に適応していく必要があることをこの数年で僕たちは実感したと思う。
 
10年前、転職してすぐに僕も「柔軟に適応」していく必要を感じた。なんだか同じようなことだなと思う。スタートアップの世界においてこの「柔軟に適応」というのが非常に重要。この世界いいる限り、これからも柔軟に生きていきたい。いや、この世界じゃなくても柔軟性は重要なのかもしれない。
 
10年前に「自分自身の改革」の必要性を感じ、新たな世界に飛び込んだわけだが、それなりに「改革」できた気はしている。成長を実感している。転職したことは僕の人生にとって大成功だったなと言える。ただ100%満足してるかというとそうではない。もっとやれた、もっと成長できたとは思う。まぁその辺の課題はこの先の人生でやっていければいいのかもしれない。多少の不満足感があった方が人は進化できる。
 
 
 

2023/12/29 

この10年

2021-2022

すでに1月5日だが、簡単に昨年の振り返りをしつつ、今年、2022年の抱負も考えてみようかと思う。
 
 
 

2020年以降型生活様式をアップデート

2021年も2020年に引き続きコロナの影響を受けた一年だった。そしてこれは2022年も続いてしまうだろう。もうそういう世の中だ。これを前提に生きていかないといけない。「コロナのせい」を続けてたらいつまでも自分の人生を歩けない。
 
不自由な面も多いが、良い面もある。半自動的にオフィスに出勤するという行動様式からの脱却。2019年までは何も考えずに出社していた。思えばEVに入る際にタイガさんから「出社しなくてもいいです!」って言われたが、翌日から毎日オフィスに出社した。半自動的にそうしたし、出社しないで仕事をする方法を知らなかった。
 
2020年は「そのうち普通の生活に戻るだろう」と心のどこかで思っていた。しかし2021年になっても全然減らない感染者数。次々に現れる新しい株。「新株発行しすぎだろ」と職業的に思ったりもしたけど、一方でこの生活に完全に慣れつつある自分にも気づき始めていた。もう毎朝通勤電車乗るのは無理かも。
 
そんなわけで、2020年以降の生活様式をより一層充実したものにするため(理由はそれだけではないけど)引越しをした。10年くらい迷ってたが、ついに購入した。5月くらいから物件探しを始めて、8月末に契約。現物引き渡しのため、そこからリフォームを開始し、想定よりも時間がかかってしまったが11月末に引っ越すことができた。築40年のUR物件。URであるが、団地型ではなく戸建型(テラスハウス)。現物引き渡してそれなりに傷んでるとこもあったけど、全てリフォームするのではなく、使えるとこはそのまま残した。せっかくの中古物件なので、全部リフォームしちゃうのはもったいない。
 
前の家は1LDKを1が僕の部屋、LDが奥さんの部屋という使い方をしていた。この変則的な使い方によってリモートワークはある程度機能していたが、夜遅くのMTGは難しい(気がひける)などいくつかの問題もあった。新居は無駄に広いので、そういった問題も解決されたし、お互いのプライバシーは完全に保たれるようになった。物理的(距離的)にコミュニケーションが減ってしまうので、その辺は今後改善していきたい。新居でも引き続き変則的な使い方をしていて、1階(旧リビング、旧和室)が僕のエリアで、2階(3部屋)が奥さんのエリアになっている。
 

(旧リビングの僕のメイン部屋の一部。窓側はそれなりに埋まってきたが、写真には写っていない入り口側はスカスカなのでなんとかしたい。床のフローリングは元のをそのまま残した。)
 
とにかく家が寒いのですが「こういうもんだ」と慣れていくのが重要な気がします。もちろん対策できるとこはやるけど、抗ってもしょうがないことはある。コロナも寒さも。とりあえずこれまで以上に家に手がかかるので頑張ってやっていきたい。
 
 
 

全国行脚が加速した2021


 
2019年末くらいから、東京以外の街を見てみたい、と考えていた。東京以外のスタートアップシーンを見てみたいし、地方の学生、起業家と交流したかったし、正しい情報を伝えたかった。そんな風に考えていて、口にも出したりしてたら、ありがたいことに地方のイベント等にちょくちょく誘われるようになった。せっかく呼んでくれたので少しでも有意義な情報を得てもらおうと全力を尽くした。
 
東京以外に住んでいる起業家も当然ながらポテンシャル高い人はいる。東京スタートアップシーンではまだ知られていない原石を探しに、2022年も各地を巡りたい。毎回1人や2人くらい「これは!」という人に会えるのがすごく楽しい。2021年は福岡で2社、鹿児島(で開催されたピッチイベント参加の起業家)1社に出資した。今年はもっとやっていきたい。


 
ところで、とある街で開催されたアクセラにメンターとして参加した際、そこにいた起業家(?)からこんなことを言われた。「大柴さん、なんでこんなとこまで来たんですか?趣味ですか?こちらとしてはめちゃくちゃありがたいんだけど、効率とか費用対効果とか考えたら来る意味あるのかな?と思ったんです」と。まぁ確かにそうといえばそうなんだけど、世の中全てのことを効率性で考えてしまうのは良くないと思うんですよね。遠回りだったり、無意味に見えるようなことから何かが生まれる可能性もある。そう思うんですよ。そんな人が界隈に一人くらいいてもいいんじゃないかなと。
 
ちなみに2021年は各地のイベント、投資先の合宿等で福岡、鹿児島、浜松、静岡、つくば、京都、長浜、伊豆高原、伊東、箱根、甲府に行った。数えてみたら27泊してた。今年もそれくらいしたい。
 
 
 

読書を模索し続けている


Booklogの本棚。読んだ本の感想はnoteに書いてる。)
 
2020年の60冊と比べると2021年は49冊と読書数が減った。まぁ数は特に問題ではないのだが、年60冊くらいは読みたいものだ。2021年は意図的にビジネス系を減らして社会問題系を増やした。コロナやSNSによって様々な社会問題が改めて浮き彫りになった感もある。そんなこともあり、知識や興味の幅を増やしていかないといけないなと思って、これまであまり読んでいなかったジャンルを読んでみた。
 
課題としては、読書スピードではなく、読んだ内容をどれだけ覚えていられるか。そこに尽きる。インプットしたいから読書をしてるわけで、やっぱりもう少し内容を覚えていきたい。変に数を追うのではなく、何をどう読んで、どう活かしていくのか。そんなことを考えながら今年も本を読んでいこうと思う。
 
 
 

やはり健康が大事

年末からまたメルカゾール飲んでるけど、問題は甲状腺よりも肝臓。お酒飲めないのに肝臓がずっと悪い。肝臓が悪いからお酒飲めないのかもしれない。太りすぎて肝臓に負荷がかかってるかもしれない。ということで(毎年言ってるけど)今年は痩せる。一昨年のバセドウ再発時に心臓が弱ってしまったのでもうマラソンは難しいとは思うけど、ゆっくりとしたランニングくらいならば大丈夫じゃないかなと思うので、多摩丘陵をぼちぼちと走っていこうかな。あとは伊藤くんのジムで投げ込むか。
 
 
 

2022/01/05 

2021-2022

2020年振り返り〜「普通」は尊い〜

「忘れられない一年」として将来語られることになりそうな2020年ももうすぐ終わる。2020年の抱負を書いた時(1月7日)には想像もつかなかったような一年だったわけだが、年初に書いた抱負のチェックをしながら今年一年を振り返ってみようと思う。「読む、書く、話す、動く、生きる」という5つの項目でそれぞれ抱負(目標)を書いたのだが、まずは「読む」から。
 
 

読む


目標は年60冊。現在59.8冊くらい。今日の帰りの電車で60冊になると思うので一応達成ということで。

家で読書をする習慣が無く、電車通勤の間にしか本を読まない。緊急事態宣言が出される前の3月下旬から基本的リモートワークになったのだが、その影響で4月は読書量がガクンと落ちた。家でどういう時間にどうやって本を読んでいいかわからなくて。しかしリモートワークのリズムをつかんできた5月からは再び読めるようになった。順応。GWに本棚を買ったのも良かった。

今年読んだ本で一番良かったのは難しい質問だが、しいて言うならばBOOKOFFで買った『孫正義 起業の若き獅子』かもしれない。この本が面白かったので読書量が再び増えた気がする。そのほか読んだ本は良いとこも悪いとこもあるので、読書noteを見てもらいたい
 
 

書く

次に「書く」ですが、「調べるおはボチボチやります」「noteはもうちょっと反応あるような記事を書きたい」「UPSTORY、隠れたキーマンを復活するよ」というような抱負でした。

まずは『調べるお』ですが、2019年は9記事、そして2020年は10記事でした。11月に「今年残り5本書く」とツイートしたものの、2本だけしか書けず。まぁ2021年ものんびりと続けていきたいなとは思っています。noteは2019年に比べるとビューは増えたがスキは同等という結果。『街歩きnote』の更新ができなくてつまんなかったです。ちなみに一番ビューがあった記事は音楽noteの『才能が解放された1998年の音楽界』でした。ビューは多いがスキは少ない。もっと頑張ります…。

隠れたキーマン』は復活するにはしたのですが、コロナ禍の中で取材がままならず本数は全然でした。もっとたくさん取材したかったんだけど。でも今仕掛かってる記事もあるし、年明け取材予定もあるので、これは引き続き更新されていくと思います。一方で『UPSTORY』ですが、インタビューメディアにしようと思っていたのですが、隠れたキーマン同様、取材ができず…。春に速報系のテストをしてみたりしましたが、なかなか難しく。本格再始動は2021年に持ち越しです。
 
 

話す

リモートワークになってしまって人とカジュアルに話す機会は減ってしまった。「小部屋」にいれば誰かがふらっとやってきて話すことができたが、オンライン小部屋は難しい。


2021年も引き続き不安定な世の中だと思うし、リモート主体の生活も続くとは思うので、オンライン小部屋をどのように運営していけばワークするのかを模索していきたい。

あと「モデレーターやっていきたい」とも書いていたが、こちらはイベントがいくつか中止、延期になってしまったので、やる機会が無かった。しかしオンラインイベントこそ、モデレーターが重要な気もするのでこちらも模索していきたい。
 
 

動く

これは今年一番難しい項目だったかもしれない。騒動前の1月にいつものヤナティ合宿をし、3月の騒動直前に親戚の結婚式で茨城に行ってから数ヶ月はとにかく移動しなかった。そもそも渋谷のオフィスにも4〜10月はほとんど行かなかった。11月にStartup Weekendで浜松に、12月にさくらインターネット油井さんに誘われて福岡、鹿児島でメンタリングに行けたのはほんとラッキーだった。2021年も同じような傾向だとは思うけど、騒動がおさまって、また旅に行けるといいなぁ…。


(初鹿児島で初桜島。ほんとに噴煙あげてるんだなぁ、すごい)


(圧倒的ランドマーク)


(島津のお屋敷「仙巌園」良かった)
 
 

生きる

「ちゃんと自分の人生を生きたい」と語った年初ではあるが、周囲に惑わされず、自分の人生を生きるのはなかなか難しい。おそらくHSPなので世の中の様々なできごとにダメージを受けてしまうし、仕事や実家などの問題にも心を乱されてしまう。もっと平常心で自分の人生を生きたいとずっと思ってるが、いつかできるようになるといいな…。とりあえず生き抜いていきたい。
 
 
 

「普通」は尊い

チェックはこんなとこだが、今年は3年ぶりにバセドウ病が再発してしまったのも大きな出来事だった。1月中旬くらいから膝がガクガクいいだして、1月下旬には動悸で少し歩くだけでゼエゼエ言うし、横になっても心臓がドキドキして眠れない。もしかして再発?と2月に入って人間ドックと甲状腺の病院に行った結果、再発確定。人間ドックでは「左心房負担」という見たこともない文字列が。たしかに心臓に負担かかってた自覚はある。


(2017年9月が最初の発症の時で2020年2月が今回)

ホルモン系の数値もこれまで以上に高くて、医者にも「今回投薬でダメだったら手術」と言われる始末。幸い数値は平常くらいまで落ち着いてきたけど、まだ薬は飲んでる。夏頃には「年内で投薬終わるかな」と言う話だったけど。2019年はフルマラソンを2回走ったが、さすがにもう難しいかもしれないので、2021年はゆるやかに運動していきたい。医者にも「痩せろ」と言われた…。

コロナによって「普通」が壊れてしまったけど、体調も含めて「普通」がどれだけ尊いことかをすごく実感した一年だったなと思う。
 

最後に

2021年の抱負は年明けたら書くけど、ここ数年の野望である「東海道、徒歩でどこまでいけるか」をやっていきたい。2017年に地元から保土ヶ谷まで20kmくらいはやったが、箱根越えしたい。箱根8里の半次郎。箱根を越えて浜松くらいまで行きたいものだ。
 
 

2020/12/28 

2020年振り返り〜「普通」は尊い〜

2017年を振り返ってみた

2017年も終わる。今年はどんな年だったのかを思い返してみると、なかなかタフな一年だったなと思う。だが、今年は一年を総括する心の余裕があるだけマシ。2015年末、2016年末は総括する心の余裕が無かった。
 

鰻と金目しゃぶ、そしてマック


お世話になっているヤナティさんの別荘に遊びに行った。いつものメンバーに加えてペンギンの方やシロクマの方も。特にペンギンの方はこれまでほとんど話したことなかったので、ゆっくり話せて良かった。金目しゃぶはめちゃくちゃ美味しかったし、鰻も美味しかった。
 
今年の前半は謎のマクドナルドブームで、毎日のようにマックを食べていた。人生でこんなにマックを食べたのは初めてである。代ゼミ時代に一時期食べてた時あるけど、それ以来だ。ちなみに「ヨヨギマック」という競走馬がいるのだが、この馬の馬主はジェイコム株で儲かった方である。夢の街でも一儲けした方だ。完全に余談。
 
そういえば、4月には地元から保土ヶ谷まで歩いたり、甲府に行ったりもしたな。めちゃ歩いた。痩せるかなって思ったけど、全然痩せなかったんだよなぁ笑。
 

4ヶ月半で体重14キロ減

GW前から「夜ご飯の糖質制限」を始めてみたのだが、どんどん痩せていき、1ヶ月で約10キロもの肉が消失した。その辺からペースを落として、2ヶ月過ぎたあたりでは12キロ減(開始時比)となった。この時点で体重は63キロとなったので、維持モードに移行することに。
 
ダイエット開始から4ヶ月が経った夏、突然お尻が痛くなった。激痛の中、病院に行くと想像通りのアレだった。アレ自体は薬で何とかなったのだが、当初はなかなかハードな痛みであった…。先生が「ついでだから大腸検査もしよう」というのでやることに。9月上旬、看護婦さんに見られながら「開発」された。そして見つかった大腸ポリープをその場で切除。結果的にこの「検査」は「手術」となった。
 
検査前の「準備」やら検査後の「後遺症」により、体重はさらに減った。一番減った時で61キロ。4ヶ月半前に比べて14キロ減である。さすがに見た目にもゲッソリしていた気がする。
 

人間ドックで見つかった異変

体重がどんどん減っている最中、僕は「糖質制限すごいなー」と呑気にしてたわけだが、周囲がザワつきだし、当初は秋の予定であった人間ドックに早めに行かされることに。それが6月。体重が減ったことで前回の人間ドック(4年前)に比べて劇的に改善している数値も多かったが、2つ気になる点が。
 
一つ目は触診において先生から「甲状腺が腫れているかもしれない」と言われたこと。もう一つは、毎年数値が悪い肝臓ではあるが、今までずっと悪い項目以外のある項目が急に悪化してたこと。調べてみたら、その項目は「甲状腺が悪い場合に数値が悪化する」と書いてあった。そこで改めて「甲状腺が悪そうだ」と自覚した。
 
というわけで、上述のお尻やら大腸やらが一段落した9月下旬に甲状腺の病院に行ってみた。結果は「バセドウ病」。聞いたことはあるが、実際どんな病気かよくわからない。だが、とりあえず「長く付き合わなくてはいけない病気」であることは何となくわかった。
 

毎日の投薬と定期的な通院が始まった

ホルモンが大量に分泌されることにより、心臓などの各種臓器、器官が常時アクティブな状態になってしまい、その結果、臓器等に多大な負担がかかり、場合によっては死に。ざっくりいうとバセドウ病とはそんな病気。常時アクティブな身体の状態のため、大量のカロリーを消費し、痩せる。この数ヶ月の急激な体重減は糖質制限のたまものではなかったようだ(少しは寄与したと思うけど)。
 
この過剰なホルモン分泌を抑えるために毎朝薬を飲み、定期的に通院をしている。幸いホルモン値は現在は正常値にまで戻っている。その結果、体重も劇的に戻ってしまっている…。あと4、5キロで完全に戻ってしまう…。
 

「死」を急激に意識するようになった

ホルモン値も異常だったんだけど、看護士をやってる妹によると「それよりも肝臓の数値がヤバすぎる」とのこと。48歳で死んだ母親は最終的に何の病気で死んだのかよくわからないんだけど、肝臓が悪かったのは事実としてあって、そして母親は肝臓が悪いが、お酒は飲まなかった。僕と同じなのだ。
 
僕が16歳の時に母親が死んだ。その時に「人ってわりとあっさり死ぬ。急がないとすぐに死ぬ」って実感した。「死」というのはわりと近くに存在する、と。それでも日常においてそんなことは忘れてしまう。だが、今回久しぶりに「死」を近くに感じて、めちゃくちゃ焦った。恐怖というより焦りを感じた。まだ何も残せてない。
 
とりあえずとして、新たなメディアを完成させ、いくつかのメディアの取材を受けたりした。これらは僕の「焦り」からくるものだ。このままだと何も残せてないし、すぐに忘れさられてしまう。そんな焦りからアクティブに活動をしたんだけど、身体がついてこなくて、また焦る。
 

とは言え、全体的には体調は回復傾向にある気がする

肝臓の数値はまだ悪く、また、副作用なのかよくわからないけど、身体が痛い。突然身体の一部が痛くなるのだ。例えるならば、足がつった時のような痛みが身体のいろんな箇所でおきる。寝てる時も歩いてる時も電車に乗ってる時も仕事している時も。その痛みが出ないようにする薬というのも新たに処方されたが、その薬は肝臓に負担を強いるようで、肝臓の数値は一向に良くならないという堂々巡り。肝臓の具合が悪いので顔に吹き出物が出てしまうのが最近の悩み。どうしたものか。
 
とは言え、夏よりかは回復を実感している。夏はめちゃ疲れていたんだけど、今はそこまで疲労感無いし、なんとかやっている。上手く付き合っていかないといけない病気なので、このリズムというか状態に慣れないといけないと思ってる。今年後半はそんなこんなでかなり作業ペースが落ちてしまったが、年も変わるので、心機一転張り切ってやっていきたい。
 
今年は「本厄」だったわけで、来年は「後厄」になる。でも本厄より後厄が悪いわけがないので、大丈夫だろう。
 

2018年はチャレンジしたい

2018年はいくつかやってみたいことがある。僕はメディアが好きだし、サービス運営も好きである。なのでその辺を少し真剣にやっていきたいと思ってる。2017年にいくつかの新メディアをこっそりと仕掛けた。これらをちゃんと運営し、成長させたいと思ってる。その結果、法人化できたらいいなと。スタートアップ的な事業ではないので、粛々とやりたい。
 
この取り組みは個人的なものであるが、今関わっているいくつかの組織にも良い影響を与えることができるんじゃないかと考えている。バッティングするようなものではないし、バッティングするようなことはしない。あとはあれですね。もうちょっとお金に執着していきたいなと思います笑。執着というか、興味というか。価値というか…。
 
と、なんだか病気日記になってしまった…。2017年の総括と2018年の抱負を書こうと思ったんだけど…。抱負はまたどこかでまとめよう。ていうか、このブログがどういう方向性になってなっていくのか不安だ…笑
 

注力するメディアは絞っていく


 
お尻が痛くなる前に仕込み始めたブログメディア。とてもニッチな分野ではあるが、同種のメディアをやってるスタートアップが先日大きな資金調達をしてたので、やりようによっては…という感じか。途中で飽きてきたんだけど、パシさんバカさん徳さんあたりにチラっとこのメディアを見せたら、わりと好評だったので再びやる気が出てきた笑
 
ここ2ヶ月くらいはほとんど更新してなくてヤバいのだが、年明けたらまた地道に更新していく予定。母数が少ないのでまだ何とも言えないが、(更新さえすれば)ジリジリとトラフィックは上がっていきそうな手応えはある。いくつかのワードでは上位に来始めたので頑張ろう。
 
すぐに新しいメディアを立ち上げちゃいがちなのですが、結局放置になっちゃうので、2018年は選択と集中を心がけていきます。あとSEOメディアだけでなく、広告で回していく手法にもチャレンジしたいなと思ってます。実は広告ぶん回し系はやったことないので、少額でテストしながらやっていきたい。一体何屋さんなんだ、僕は笑
 
 

2017/12/31 

2017年を振り返ってみた