初めてnote課金した「つけびの村」と、僕の「無限回廊」への遠い道

我が家では時折「未解決事件」や怪奇な事件について話すことがある。怪文書のある未解決事件は特に興味があり、その内容について論じたりする。「ミユキ カアイソウ」や「この男の人わるい人」などだ。一応書いておきますが、検索しない方がいいです。
 
最近では読書をするように心がけているが、もっぱらこの手の事件の情報収集はネットである。「オワリナキアクム」や「殺人博物館」、そして「無限回廊」などが収集元となっている。だいじょうぶか、この日記…。
 
そんなわけで、僕も何か事件について調査して書いてみたいなとぼんやりと思ったりしているのですが、尊敬している2人の「インターネット文豪」の一人である桂さんからは、常々「無限回廊」みたいのをやることを期待されている(ような気がしている)。
 


 
「無限回廊」のような文字数の多い記事を書くには、それ相応の文章力が必要になる。僕は文章力には自信無いし、奥さんからは「語彙が少ない」という指摘も受けている。その通りだ。それらを解決するため、前述の通り、昨年から本を読むようにしている。ただ、どうしても小説は読む気がせず、またビジネスノウハウ的なものも興味が無いために、このような本棚になっている
 
もっと事件に関する書籍を読みたいのだが、よく行く本屋さんにはあまり置いていない。経済事件や一部の事件は多いのだが。そんな中、タイムラインで見つけたのが下記ツイート。
 


 
もう一人の「インターネット文豪」であるイシケンさんのツイート。信頼するイシケンさんがここまで震える記事なのかとこのnote記事を読んでみることにした。フリーライターの高橋ユキさんのルポ「つけびの村」。全6記事の大作で、1話と2話は無料で読める。3話途中から有料になっている。
 
・ルポ「つけびの村」01/06 〜山口連続放火殺人事件の因縁を追う〜
https://note.mu/tk84yuki/n/n264862a0e6f6
 
なんとなく読み始めたものの、事件の奇妙さ、文章の上手さでどんどん深みにはまっていった。そして初めてnoteに課金をした。ネタバレになるのであまり書かないが、とにかく後味が悪い結末。田舎ならではのじっとりとした湿度の感じる事件の様子が、からっとした文章で綴られていて良い記事だった。「文章を仕事にするには、これくらいの文章力、取材力が必要なのか…」と自分との差に愕然とした。
 
東京で生まれ、東京で育った僕は、常々「田舎で暮らしてみたい」と思うことも多い。東京はとにかくストレスが多く、それこそ消耗するのだ。しかし、田舎には田舎ならではの濃密なコミュニティがあり、それは東京のストレスにも勝るとも劣らないものなのかもしれない。というふわっとした結論になるのが僕の悪い癖。いかがでしたか?
 
 
この「つけびの村」はネット上で大変話題になり、ついには書籍化も決定。書籍が発売されたら改めて購入し、読んでみたいと思う。
 

 
 

2019/03/28 

初めてnote課金した「つけびの村」と、僕の「無限回廊」への遠い道

本来持っている「良さ」を活かすのは難しいし、その前に「良さ」を理解しない自分がいる

 
子供の頃、毎年夏休みになると、父の運転する車で山梨の田舎に行った。父の故郷は山梨で、いまもそこには墓がある。首都高から高井戸で中央高速に乗り、須玉ICで降りる。たどり着くのは「清里」というのどかな高原。
 
ドライブは楽しいものだが、中央高速での楽しみと言えば、日本屈指の長さを誇る笹子トンネルと巨大な談合坂サービスエリアくらいで、あとはひたすら退屈な道程であった。談合坂の自販機で売ってるカップラーメンが美味しかった。
 
 

「高原の竹下通り」

 
ユーミンが中央高速を「中央フリーウェイ」とカッコ良く呼んだのは僕の生まれた1976年のようだ。そしてそれから10年あとの1980年代後半を聴きながら山梨の清里に旅行するのが当時の若者の流行になった。僕の記憶の一番古い「清里」の風景は、駅前に連なるファンシーなショップ、タレントショップの面々と、ソフトクリームを頬張りながら歩く若いカップルの姿だ。まさにその光景は「高原の竹下通り」であった。
 
 

 
 
この動画、僕の一番古い記憶にかなり近い。人混みの中、ソフトクリームを買い、タレントショップでマグカップを買った。街はどんどん開発されていき、ペンションも雨後の筍のように建った。「今度スキー場ができるらしい」と父が言ったが、清里は雪が降らない。どうやら人口雪でゲレンデを満たすようだ。なんとも壮大だ。
 
 

本来の良さを活かさない「ブーム」はすぐに終焉に向かう

 
当時清里は「第2の軽井沢」などと言われ盛り上がっていた。バブル景気にも乗って、土地の開発が過剰に繰り広げられた。脱サラして清里でペンションを始めた人も多かっただろう。雑誌などで特集が組まれ、情報感度の高い若者が大挙して押し寄せた。典型的な「ブーム」である。そして「ブーム」は終わる。
 
ブームが去るとどうなるか。普通の観光客しか来なくなる。しかし普通の観光客は清里に「原宿」を求めてはいない。豊かな自然であったり、山菜などの地場の食べ物である。パスタやラーメンではなく「ほうとう」を食べたいのだ。しかし、コーヒーポットの形をした飲食店やお城のような建物のカフェでは「ほうとう」は出ない。そもそも「ほうとう」をそんなファンシーな建物で食べても雰囲気でない。そして普通の観光客も去っていった。
 
これが僕の推測。たぶん概ね合ってるんじゃないかと。
 
ブームも去り、バブルも崩壊し、「平成の大合併」で清里を有する高根町など7町村が合併して「北杜市」となったのが2004年。2006年には小渕沢も加わった。あんまり関係ないけど、清里ブームの時の町長で、後に合併の協議会の会長なんかもやってた人は伯従父。
 
 
すっかり大人になった2011年。すごく久しぶりに清里を訪れた際に撮った写真。完全なる廃墟である。まるで閉園してしまった遊園地のようだ。誰もいない。誰も歩いていない。当然店もやってない。清里が本来持っている良さを活かせば、もう少しは活気出てくると思うけど、道は遠そうだ。
 
本来の良さを活かさず、むしろ卑下して、何の物語もない「ブーム」に乗ってしまって、結局何にもなれない、というのは街に限ったことでなく、人にも当てはまる。みんな何かしらの強みがある。その存在をきちんと認識するのが第一歩のような気がする。見誤りがち。
 
 
 
一昨年に久しぶりに訪れたのだが、週末だというのに開いてる店はほとんどなく、通行人もほとんどいない。あの頃にはあんなに人がごったがいしてたのに。そのかわり現在は駅前の広場に大量の蛾が鎮座していた。ステルス戦闘機のような形の薄い緑色の蛾があたり一面を覆っていた。そういえばあの頃の観光客もパステルカラーの洋服を着ていたな。
 
 

2019/03/01 

本来持っている「良さ」を活かすのは難しいし、その前に「良さ」を理解しない自分がいる