かつて「青文字系」の雑誌を謎によく買っていた。20代の頃のことだ。
今思うとなぜあんなに買っていたのか。不思議に思ったりもします。『CUTiE』や『Zipper』、『PS』や『mini』。たまに『FRUiTS』も買ってみたり。別にファッションにそこまで興味は無かったので、そこに出ているモデルが好きだったんだと思う。赤文字系モデルには基本的に興味は無かった。
『PS』は2011年11月、『CUTiE』は2015年8月に、『FRUiTS』も2016年12月に休刊した。そして『FRUiTS』休刊から1年後の昨年12月に『Zipper』も休刊となった。付録戦略で低迷する雑誌業界に一石を投じている宝島社の『mini』はまだ生き残っているが、付録を付けるしか雑誌の生きる道は無いのか?と本屋さんで陳列されている分厚い付録付き雑誌を眺めながら複雑な気持ちになったりする。別に良いのだけど。
雑誌の発行部数が厳しいというのは知っていたが、それがどの程度なのかは知らなかった。一般社団法人日本雑誌協会のサイトには雑誌別の「印刷証明付き発行部数」を調べることができる。そこで、かつて見ていたいくつかの青文字系雑誌と、見てはいなかったギャル系(?)の『JELLY』や赤文字系の『CanCam』も含めて部数の推移を調べてみた。ちなみに宝島社は日本雑誌協会に入っていないのか、データは無かった。
データ最古の2008年と比べて『Zipper』や『mina』、『JELLY』などは2009〜2010年に上昇しその後落ちていっている。2005〜2006年頃に蛯原友里、押切もえ、山田優などが彩り時代を築いた『CanCam』は2008年に入って激しく部数を落としてる。ちなみに2007年4月に押切もえが、2008年末で蛯原友里、2009年頭に山田優に「卒業」している。
いまでも発行されている『JELLY』ですが、こんなに強かったんですね。知らなかった。『mina』もなにげに安定している。図を作りながら『Zipper』の数値がどんどん下がっていくのがハラハラした。『古着Mixガールズ』がリニューアルして創刊された『mer』はいまでも発行されているが、途中からデータが無くなっている。媒体資料(PDF)によると12万部を発行してるそうだが、さて。(『mer』創刊時の三戸なつめ、かわいい。前髪はあれくらいの長さあった方がいいな笑)
調べた雑誌が全て「下げトレンド」になったのは2010年頃でしょうか。やはりスマートフォンの普及が原因なのでしょうか。そしてスマートフォンもいずれは「過去のもの」になっていくわけです。
月別: 2018年3月
盛大に話が逸れてしまった『SHOE DOG』感想文
「本を読まないキャラ」でここ数年は過ごしてきたが、今年は「実は本を読んでいるキャラ」でいこうと思って、年明けから本を読んでいる。と言ってもまだ2冊半しか読んでいないのだが…。
『血統史たらればなし』という競馬の本は読み終わり、『世にも美しい教養講義 超図解・宗教』は読み途中。そして昨日一冊読み終えた。約550ページの大作『SHOE DOG』である。ナイキ創業者フィル・ナイトの自伝的な本。去年発売されて、界隈ではちらほらと評判になっていた本である。カッコイイ装丁で、パラパラと立ち読みしたら面白そうだったので購入した。そしてようやく読み終えた。
ナイキが創業当初「オニツカ・タイガー」の販売代理店だったことは前々から知っていた。そして袂を分かったことも知っていた。そのあたりのいきさつを知りたかった。本には「ナイキの言い分」が書いてあるので、ネット上で「オニツカの言い分」を補足しながら読み進めた。どっちも言い分はあるだろうし、どちらの言い分にも矛盾はあるのだろう。とにかくオニツカと袂をわかつことになり、結果「ナイキ」が産まれた。これは事実だ。
日商岩井(現双日)の件は知らなかった。こんなにも蜜月だったのか。1975年のバンクオブカルフォルニアでの「アイスマン」のカッコイイ振る舞い。「なかなかやるじゃないか」と心の中で呟いた。ちなみに1975年、ポートランドの北、ワシントン州ベルビューの日商岩井のオフィスに赴任していたのが、後に双日の社長に就任する加瀬豊氏である。言わずと知れた俳優加瀬亮の父親だ。産まれたばかりの加瀬亮もベルビューにいた。加瀬豊氏はナイキ創業者フィル・ナイトと親交があったという。「アイスマンはもしかして加瀬豊?」と思ったが、たぶん違う。だが「アイスマン」の風貌を勝手に『アウトレイジ』の石原(加瀬亮がやった役)で読み進めた。ただ石原の風貌は「アイスマン」イトーではなく、キタミの方が近いかもしれない。
しかしフィル・ナイトという人はなかなか変わった人のようだ。溢れる情熱、溢れるベンチャーマインドを持つ起業家であるが、リスキーで、情も薄い。こんな上司はちょっと嫌だなぁと思った笑。しかし一代、50年足らずで世界トップのスポーツブランドを築いた手腕は見事としか言いようがないが、戦略はあったとは言え、賭けに勝ち続けたという側面もあるなぁと。万馬券を買い続け、的中し続ける。運も味方したとしか言いようがない。
少し話しが逸れるが、僕がナイキのシューズを初めて買ったのは中学生の時だったように記憶している。1990年頃だろうか。僕らが小学生の頃は『キャプテン翼』全盛期で、誰もがアディダスを求め、そしてプーマを求めた。これらは高価だったので、もっぱらアキレスの『フラッシュパル』や月星の『ジャガー』を親にねだった。そんな小学生時代から中学に進学し、購入したのがナイキだった。少し派手なカラーリングだった気がする。
高校時代は「スニーカーブーム」だった。90年代前半はクラシックなローテクスニーカーが流行った。僕はプーマの『SUEDE』を履いていた。アディダスの『スタン・スミス』を履いていた人もいたな。ナイキを履いていた人の印象はあまりない。しかし95年に状況は一変する。『エアマックス95』の登場である。ハイテクスニーカーブームの中心としてブームを超えた存在となった『エアマックス95』、『エアジョーダン』も人気だった。おーランド・マジックの若手PGペニー・ハーダウェイのモデル『エアペニー』も人気だった。ハイテク時代の到来で一気にナイキ有利の状況が産まれた、気がする。
僕はと言うと、相変わらず僕はアディダスが好きだった。というより、あまのじゃくなので、「みんながナイキならば僕はアディダス」というレベル。そんなわけでナイキやらアディダスやらリーボック(ポンプフューリーは良かったね)などのハイテクスニーカー全盛であり、コーディネイトの中にハイテクスニーカーなどのスポーツアイテムを取り入れる「スポーツミックス」なるものが流行った。
96年の大学の入学式。バイトの先輩から借りたスーツにアディダスの『SEEYA』を履いて出席した。スポーツミックス気取りで意気揚々と出席したが、今考えると中学生みたいなコーディネイトだな。
盛大に話が逸れたので戻すと…もうもど戻さなくてもいいか。では最後に、「あとがき」的なとこで、フィル・ナイトと日商岩井の社長「ハヤミ」とのやり取りが書かれていた。「ハヤミ」とは後の日銀総裁である速水優であるわけだが、その「ハヤミ」にフィルが悩みを打ち明けるのだ。「中間マネジメントがいないので、外部から採用しようとしてるが、上手くいかない」と。話を聞いた「ハヤミ」は「あの竹が見えますか?来年ここに来たときには1フィート伸びていますよ」と静かに語った。つまりは、現状のマネジメントチームを長期的に育てていくのが良いよ、と意味を込めて竹の比喩を使った。なかなか良い話だと思った。
『SHOE DOG』についてはネット上にもいろいろ感想が公開されているし、ページ数は多いけど、わりとさくっと読めるので、まだ読んでない方は読んでみてもいいかも。では今回はこの辺で。次は石田ゆり子の『Lily』を読もうと思います。
2018/03/06
ロクシタン、ボディショップなどの業績などのメモ
ロクシタンはわりと好きなのですが、「プロヴァンスって書いてあるからたぶんフランスの会社なんだろうな」くらいしか知識が無かったので、売上とか少しだけ調べてみた。あと同種のボディショップとLUSHもついでに。
ロクシタン
https://jp.loccitane.com/
沿革
– 1976年創業
– 2010年香港市場に上場→上場時時価総額 220億 億HKD(3,007億円)
– 2018年2月27日 時価総額 216.23 億HKD(2,956億円)
– 2017年3月期 売上高 13億2320万ユーロ(1,744億円) 営業利益 1億6830万ユーロ(221億円)
売上高/営業利益推移(億ユーロ)
– 2015年3月 11.77 1.68(1,551億円/221億円)
– 2016年3月 12.82 1.58(1,690億円/208億円)
– 2017年3月 13.23 1.68(1,744億円/221億円)
日本展開
– 出店 1996年
– 日本国内 ショップ数108店舗、カフェ3店舗
– 日本売上高 300億円(全世界に占める割合 18%)
– 渋谷ハチ公交差点のとこの店は売り場面積世界一
世界展開
– 日本以外では、アメリカ、香港での売上が多い
– ブラジル、中国、ロシアでの売上伸び率が高い
– ネット販売 190億円
※1香港ドル=13.67円 1ユーロ=131.81円
ザ・ボディショップ
http://www.the-body-shop.co.jp/shop/
沿革
– 1976年創業
– 1986年ロンドン市場に上場→時価総額 3億5,000万ポンド(522億円)
– 2006年ロレアルに売却 6億5230万ポンド(974億円)
– 2016年の店舗売上高は約15億ユーロ(約1,977億円)
– 2017年ナチュラ・コスメティコスに売却 10億ユーロ(約1,318億円)
ナチュラ・コスメティコス(Natura Cosméticos)
– 通称「ナチュラ」 ブラジルを代表する化粧品メーカー
– 1969年創業 2004年サンパウロ市場に上場
– ボベスパ指数構成銘柄の一つ
– 時価総額149.86億ブラジルレアル(4,971億円)
– 売上高2016年 79.12億ブラジルレアル(2,624億円)
1英ポンド=149.25円 1ユーロ=131.81円 1ブラジルレアル=33.17円
LUSH
https://jn.lush.com/
沿革
– 1976年創業 Constantine and Weir Company
– ボディショップに納品→その後ボディショップに売却
– 1988年 Cosmetics to Go創業→1994年破綻
– 1998年Lush創業 British Ensign Estatesが支援
業績
– 2016年度 売上高 7.23億ポンド(1,079億円) 前年比26%増
– 店舗数931(北米地域で250店舗)
– 北米売上高 4.55億ドル(487億円)
1ドル=106.95円 1英ポンド=149.25円
こうやってみるとロクシタンもボディショップもLUSHも全世界で1,000〜2,000億円の売上高。ロクシタンは香港市場に上場してて、国別売上高も日本や香港、中国が大きい。伸びしろとしては中国、ブラジルあたりか。そんなブラジルの化粧品メーカー「ナチュラ」傘下に現在は納まっているのがボディショップ。2006年にロレアルによって買収されたあと、去年ナチュラが10億ユーロで買収。ボディショップの理念はロレアルよりもナチュラの方が近い。そしてかつてボディショップに売却経験のあるメンバーが作ったのがLUSH。LUSHは北米地域が強く、世界売上の半分近くは北米地域。
ちなみに、2017年のロレアル、資生堂の業績は、
– ロレアル:売上高 260億2,370万ユーロ(約3兆4,301億円) 営業利益 46億7,630万ユーロ(6,164億円)
– 資生堂:売上高 1兆50億円 営業利益 804億円
以上、備忘録的メモでした。